2017年6月27日火曜日

批判は、感情を表に出さないで行われる悪口だが、馬鹿は丸出しになる

 今井絵理子という自民党の参議院議員が「「批判なき選挙、批判なき政治」を目指して」と言っているのが話題になっているらしい。教えてくれた人がいる。
 今井がそんな政策とは言えないような政策を掲げている背景には、批判が悪い事だと思っている若い人が増えているという話になっているのだと言う。
 批判の何が良くないかというと、「批判は悪口や人格否定と同じ」だというわけだ。
 ええと、そこはまとめた方が良くて、「批判は批難と同じ」という風にしてみようか。そう感じる人が多いのだという。
 昔々、おじいさんがまだ子供だった頃、
「批判は批難と違う。君のは批難だ」
 と言って、相手をはねつける言い方があった。横で聞いていて、それはそうだけれども、その違いを言ってくれないかな、どこが批難なのか指摘してくれるないかな・・・などと思ったものだが、たいてい、その後は
「何だとこの野郎」
 となるか、あるいは、そのまま手が出るとかいう展開になってしまったので、疑問は解消されなかった。
 で、今、そこは矛盾していないかとか、飛躍があるようだねとか、説明が飛んでいるよとか、そういう指摘というか、疑問を表明する場合、半ば以上批難していると思う。

 例えば、社民党県連常任幹事も務める徳島市の小林雄樹市議が、徳島駅周辺で制服の女子生徒のスカート内を盗撮した容疑で事情聴取され、スマホにパンツが写った写真が2枚あったという話題で、社民党所属小林雄樹徳島市市議本人が駅前整備のための調査で写真撮影をしていたが、知らない間に写り込んでいたと釈明したのをテレビで見て、

「んなわけないやろ」
 と、画面に向かってなぜか上方言葉で言うのは、ほぼ批難の色で染まっている。
 そして、

 スマホを手に持った社民党所属の小林徳島市議の行動を目撃した人が不審に思い、近くの交番に届け出たという発覚の経緯を知り、さらに、社民党の小林市議が最初、以前に勤めていた職場の懇親会に出席するために駅前を歩いていたと言っていたのを知るにおよんで、


「んの野郎、嘘ばかり抜かしやがって、ただのエロ議員じゃねえか!」
 と言うのも批難だ。
 本当は、もっと豊富な語彙を駆使し、多くの点に触れたのだが、思い返すと公表するに耐えないので割愛する。つまり、99.99%ぐらいカットした事だけはお伝えしておく。とにかく、口を極めて悪く言った。

 さて、ここで批判と批難はどれだけ違うだろうか? 例えば、誰かの容姿を、
「コラ、このしゃくれ」
 とか言ったら、これはただの悪口だ。
 しかし、批判の中に皮肉を入れるという事はよくある。この皮肉というものは悪意の化身だから、つい口から出た悪口よりも良くないものだ。うまい皮肉は面白いけれど。

 批判も悪口も、暴力につながる可能性があるのは同じだ。
 批判されるのが嫌なのは、誰でも、洋の東西を問わず同じだし、感情的になるのも同じだ。ただ、抑制しているだけだ。
 じゃあ、ない方がいいのかというと、日常生活を円滑なものとするには、批判などない方がいい。選挙ではどうかというと、ネガティブ・キャンペーンは嫌なものだからやらない方がいい。批判なき政治は・・・どうだろうね?

 でも、アスリートの世界では、自分が自分を批判的に見ているだろうし、他の選手からも批判的に見られているだろう。
 ここがいい、あそこがだめだと、お互いに見ている。それはアスリートの世界、あるいは、プロの世界として当然の事だ。その冷徹な目がなければ自分をいじめ抜いて上に行く事はできない。

 だが、一般的には、人間は感情的で、批判と批難の区別などない。何もない時にはそんな区別があるつもりでいても、いざとなると区別など吹っ飛んでしまう。批判的に見る能力を持っている人も多くはない。ある人が批判能力がないとしても、それはしかたがない。その能力がないんだから無理だ。

 批判があるべき形で成立する特別な場所はあるだろう。でも、それは限られているという事だ。多くの空間では、批判と悪口の区別がなくなってしまう。だから争いの元となる批判は避ける方が賢明だろう。
 若者が批判を悪い事だとみなしたり、感じたりするのは、生活を営む上では正しいと考えられる。批判など避けて楽しくやるのがいい。

 今井絵理子参議の政治の世界に戻ろう。
 政治の世界では、立場の違い、争いが前提だから、批判も批難も悪口も人格否定も歪曲も嘘も何でもある。批判能力があろうとなかろうと、向かい合わなければならない。
 言い方を変えると、政治というのは争いというケガレを引き受けるものだから、そこで「批判なき」なんて言うのは、ケガレを引き受けないと言っているのと同じ事になってしまうと思う。あまり前向きではないしね。
 つまり、批判を問題にする事は政治的には間違っている。沖縄に早く基地を作ろうとか、原子力発電所を早く稼働させようとか、そういう前向きの中身を言うだけでいい。
「(何々)なき」というのが前向きではないのだ。中身がない感じになる。

 一応、付け加えておけば、英国あたりには、今井のように「批判なき政治」なんて考えてる政治家がいるかもしれないとは思う。英国人、上の階級に間抜けがいるしね。
 
 何か批判していると自分が頭がいいと感じられて気持ちがいいという人もいると思う。
 個人的には悪口は好きだが、批判は面倒臭い。
 悪口は感情だが、批判は首尾を整える必要があるからだ。
 で、首尾を整えただけ利口に見えるかというと、そうも思えない。努力が無駄になる感じがある。
 本当に頭のいい人は、無意味な批判はしないだろうし、批難もしないだろう。だから、批判などしていると、馬鹿にしか見えないと考えるべきだ。

 一番重要なのは、馬鹿丸出しではない批判というのは、とても難しいもので、とても少ないという事だ。
 おそらく、悪意のない批判は、指摘とか、評価とか、別の名称を持つものとなるだろう。







2017年6月26日月曜日

由利徹、イヨマンテも好きだった

 ナポレオニの新刊、やっぱりまた遅れた。9月になるそうだ。本当に9月に出るかどうかわからない。
 本が出る前に、IS全滅しちゃうんじゃないか?
 それはその方がいいけど、本は読みたい。

 ロシアがシリアに居座るために、殲滅戦まではやらないかもしれない・・かな・・・



2017年6月25日日曜日

小さな「ぁ」と「・・・」がね・・・ため息感というか、ね

 米大統領選挙へのロシアの介入問題で、米紙ワシントンポストが、
「米中央情報局(CIA)は大統領選前の段階で、プーチン氏がトランプ氏を有利にするためのサイバー作戦に直接関与したと判断。これをオバマ前政権に伝えていた」
 と報じたという。
 だが、オバマ前大統領は何もしなかった。
 オバマ前大統領は、格好をつける事以外、ほとんど何もしなかった人だったけど、こんな事でも知らん顔してた。

 トランプ現大統領は、これを批判しているという。

(記事は以下。CNN)

ロシア介入、オバマ氏は知りつつ「対応せず」 トランプ氏が批判


 ヒラリーはこれでオバマを恨み、憎悪するだろうが、それはお門違いかもしれない。ロシアがトランプに肩入れしていたとしたら、迷惑したのはトランプ以外の共和党候補だった可能性が高い。それに、ヒラリーは元々あからさまにオバマを嫌っていたから、今更憎まれても屁でもないだろう。
 この後は、ヒラリーがユダヤの魔術で呪詛し、ミシェルがブードゥーで呪い返しをする闇の世界が繰り広げられる・・・のは、漫画の世界か・・・

 しかし、クリントン家を支那が応援し、トランプをロシアが応援した感じだね。
 韓国と日本の担当は北朝鮮かぁ・・・

 

 

西郷の遺産

 明治維新後、日本の軍隊は刀を捨て、装備の西洋化を図った。これに対し、西郷隆盛が決起する形となった西南の役において、西郷軍に参加したかつての武士たちは剣を携えていた。もちろん大砲も銃もあったが、刀を捨てる事はなかった。
 政府軍は銃のみを装備としたいたから、西南の役は銃対剣の戦いとして始まった。
 日本の戦史において、戦国時代でも、すでに主力兵器は剣ではなく銃だった。いや、それ以前も、弓矢、槍、薙刀といった武器の方が主流だった。政府軍は緒戦から勝利するはずだった。
 しかし、政府軍は西郷軍の刀に斬り伏せられて行った。
 西郷軍の薩摩勢は薩摩示現流の使い手もいただろうし、維新戦争の兵士たちが多く参加していた。何よりもそこで生まれ育った者たちであり、地の利を活かした柔軟な奇襲作戦を実行できた。
 政府は慌てて、かつて幕府の治安部隊として活動した抜刀隊の生き残りなどを集め、西南の役に投入した。
 これによって、やっと政府軍は西郷軍を制圧したという。
 この戦訓のおかげで剣術が再認識され、警察は剣道を作った。
 実に西郷軍の活躍によって、剣術は残り、剣道が作り出された。
 剣道は、警察剣道に始まる。意図せざるものではあるが、西南の役なくして、後の剣の歴史もない。

 薩摩人が多かった警察剣道が示現流にならなかったのは、示現流が御留流だったためかもしれないし、西郷軍の流派という印象になったためかもしれない。剣道のあの気合が示現流譲りに感じられる事から、西郷をはばかったのが警察剣道、つまり、剣道がまったく別のものとして作り出された理由と、勝手に思いたい。
 明治政府は、西郷の亡霊を恐怖し続けたのである。

国粋主義試論 日本国粋主義の近代 2

 国権派――欧米派と、民権派――国粋派というのが日本近代の政治的対立の形です。
 国権派と民権派は相互に影響しあい、交差しながら近代の政治的動向を形成しました。
 国権派、民権派と言っても、互いに一枚岩というのでもなく、内部の対立や反目もありましたし、野合もありました。さらに、当時の人々の意識や自覚がどのようなものであったかという問題もあり、さほどすっきりと別れてもいません。様々な機微、思惑、感情、そして人間関係が絡まり合う事でもあり、複雑かつ曖昧です。
 民権派で言えば、目立つ所だけでも、民権運動と困民党運動の対立、国粋会と大和民労会の対立、国粋会と水平社の対立などがある他、国粋会そのものも、全国と東京、そして、東京も三多摩は別個に独立した国粋会を作っていました。
 それでも、国権派=西欧派と民権派=国粋派を別けて見る事は、日本近代を理解する上で役に立つと思えます。

 北一輝は民権派ですし、北が革命運動に挺身すべく支那に渡った時、宮崎滔天のつながりを頼りましたが、滔天も民権派でした。滔天は孫文と深くつながっていましたが、北が行動を共にした宋教仁は北の説によれば孫文に暗殺されました(本当にそうだとすれば、実行したのは孫文の懐刀だった蒋介石のコマンドでしょう)。そして、おそらく北が一緒に殺されなかったのは、滔天の存在があったからでしょう。その後、日本に引き揚げた北は、宮中某重大事件の怪文書で山県有朋を失脚させます。
 山県は国権派の中心人物として自由民権運動を徹底的に弾圧しました。秩父事件では寄居に乗り込んで陣頭に立ち、また、大逆事件を策動しました。
 北一輝は、山県への復讐として宮中某重大事件を仕掛けました。そして、おそらく、2・26事件に連座したとして北が処刑されたのは、国権派による報復です。

 国権派と民権派が合同したのが大政翼賛会でした。これが戦後に、多少の紆余曲折を経て自由民主党になります。ですから、自民党には山県有朋の子分の人脈もいれば、宮中某重大事件の怪文書で山県を失脚させた北一輝の弟子だった岸信介の系譜もいるのです。
 戦後の昭和30年代ぐらいまでは、民権運動出身の自民党議員もいました。

 国粋主義が国家主義による社会統制を目指したもの(つまり、ファシズム)であるというのは、日本の近代史に対する重大な誤解です。
 日本国粋主義は、西洋にかぶれ、日本を見下すような病的精神を排するというだけで、排外主義ではありません。健全な愛国主義です。
 国権派の愛国主義が文明開化を焦るあまり、病的な歪みをもたらした事に対する批判から出た、民権派の愛国主義が国粋主義と言っていいでしょう。
 国権派から生じた病的精神のひとつが左翼運動の輸入でした。左翼からは国粋主義が右翼に見えたのは、こうした事情でしょう。左翼からは、自生の民権運動など雑草としてしか見えなかったのです。
 国権派と民権派は共に尊皇攘夷から出た潮流であり、どちらも明治維新の完成という主題を持っていました。「大正維新」「昭和維新」という言葉は、明治維新を完成させる第二維新という文脈で言われたのです。
 それが日本近代を貫く精神でした。 







2017年6月24日土曜日

社会的まだらボケ現象としての文書

 役所の人間は、政治家の名前を勝手に使って、他の政治家に
「○○先生がこうおっしゃってましたんで、お願いします」
 なんてやる。すると、言われた先生は、
「何、○○先生が、そうか、じゃあしかたないな。了承する」
 となって、誰も支持していなかった法案が支持されるようになったりする。もちろん、その役所が出した法案だ。
 これは自民党だけの話ではない。民主党時代もそうだったし、別に政権とは関係なく行われて来た事だ。
 官僚は政治家が馬鹿ばかりなので、いちいち説明するのが面倒になり、こういうやり方を編み出したのだろう。
 福田康夫が、首相時代にこれを注意した事があったと、どこかで読んだ。

 自民党の議員も馬鹿が多いようだが、社民党が社会党だった頃の村山富市(元首相)は心底馬鹿だったので、法案を作った役人に反対意見を作らせようとした事があったという。
法案を作ったのだから、ダメな所もよくわかるだろうという理屈だったらしい。自分で法案を読み、研究し、国民のためにならないと判断するという知性はなく、手間をかける根気もなく、ないないづくしだったから、自民党がこいつが手頃だと見て、与党に返り咲くべく首相にしたんだね。

 このやり方が、対政治家だけでなく、役所内でもやられていたのだとわかったのが加計学園問題だった。

 政治家個人ではなく、役所という組織には文書で伝達したというだけだ。文書といっても話を早くするための潤滑剤みたいなもので、言葉に例えれば、省内だけで通用する業界用語だ。つまり、正式のものではない。
 だから、これを表に出したら、その瞬間に怪文書になる。


 これをルールの話として考えると、役所が政府案として作成した法案を政治家に説明する手間を省いてしまう手法が常態化し、一種のローカルルールとなっていた。
 役所に限らず、会社などでも、組織は、組織のローカルルールに適応する事を求めるものだが、どうしてもローカルルール至上になりがちで、ジェネラルルールが無視されてしまう。
 左翼やカルトなどはこの傾向が強く。ローカルルールはジェネラルルールだと思いこんでいる。こうなるとソシオパスとされる症状だ。
 ソシオパスは良心を備え、共感、罪の意識、忠誠心を持つ能力を持っているが、善悪の判断が、帰属グループや帰属グループのサブカルチャーの規範、期待に基づいている人格。
ローカルルールはおそらく、適応してしまうと居心地がいいのだろう。妙であっても、それを妙だと感じる自意識がなければ部分最適の快感があるかもしれない。
 村一番が、日本一よりも良く、日本一が世界一よりも良いとか好きだと感じる人はいるだろうし、食べ物の好みなどを見れば、世界一のシェフの料理よりも母親の料理を美味しいと思う人がいても不思議ではない。また、これをソシオパスの傾向とは言わない。
(当面、これを程度問題という風に処理するとしよう。ここでの本題ではないので、それで十分だ)。

 ローカルルールがジェネラルルールと取り違えられてしまうと、これは病的な領域に入ってしまう。
 つまり、ローカルルール内のメモが、ジェネラルなものとして、ジェネラルな空間に出てしまうと、事態は病的なものとなってしまう。

 ここで病的なのは、ローカルルールとジェネラルルールの区別がついていない者という事になる。
 文部省もまだらボケしてるし、他も何だか・・・


 そんな事もわからなくなってしまったんだね。






選挙を静かにする方法って、ないのかな???

 都議選か・・・

 美濃部みたいな、最低のゴミ都政が続いた時もあったね。

国粋主義試論 日本国粋主義の近代 1

 国粋主義は自由民権運動から出た考え方です。自由民権運動の起源は普通土佐に求められます。狭義の民権の起源としては土佐でいいでしょうが、ここでは維新を国粋主義の起源として見て行きます。
 その理由は、明治維新にあります。
 幕末時代、徳川幕府も倒幕派もともに思想的には尊皇攘夷でした。京都の治安維持の一翼を担った新選組の「誠」も尊皇攘夷から来ています。
 維新後、明治時代になって天皇を国家主権者とする事で尊王は果たしました。しかし、攘夷はどうするのか。日本近代の問題はそこから発して来ます。
 攘夷論は国学によって支持されていました。明治時代までは国学は平田篤胤派が主流でしたが、平田学派はしきりに攘夷論を唱えたのです。
 しかし、国家権力を掌握した薩長明治政権は開国開化に向かいます。
 明治政権は日本の欧化を急ぎ、人材を留学させ、欧米の文化を積極的に取り入れます。欧化は軍隊の強化に直結したからです。強国のためには富国が必要です。商売には交通交流が欠かせません。語学、それも欧米列強の言葉が重要な位置を占めました。かつての支那語と同じく、これは否応の余地のないものでした。
 欧米列強がアジア、アフリカ、アメリカ大陸を植民地化し、支配している時代でした。軍事力を持っていなければ蹂躙されてしまいます。ロシアも虎視眈々と日本を狙い、勝手に上陸し、英国に追い出してもらわねばならないなどといった事も起きてる時代でした。
 武器兵器の取り扱い方法を知り、戦略戦術を始め、様々な技術を取り入れるのにも語学は不可欠でした。また、列強に肩を並べる文明国の体裁を整えるためには、文学芸術も立派に国家目標の役に立つものでした。
 ただし、その欧化には副作用がともないました。急激な欧化は何から何まで欧米が優れているという認識を生み出し、そこから日本を見下す風潮が生まれました。人は違いと優劣を混同しがちですから、何でもかんでも西欧がいいんだとして、自分が留学した事を威張りたがる輩が目に余ったのでしょう。
 そうした動向を象徴するのが鹿鳴館でしょう。行き過ぎた西欧かぶれと見なされ、反発する風潮が生まれます。
 政治的に、薩長に権力が集中した事に反発する土佐派など、薩摩の西郷派、西郷シンパの生き残り、様々な人々が薩長明治政権に異を唱えていました。土佐に始まった民権運動に、こうした諸潮流が合流して行きます。
 土佐派は、西郷決起の時、合流を目論見ながらも利害にこだわった挙句、期を逸してしまいましたが、おかげで生き残っていたのでした。
 こうして攘夷派の民権派が明治の大きな潮流となりました。この民権派に対して、国家権力中枢を掌握した薩長を中心とする藩閥を国権派と言います。
 近代日本の政治の基底に横たわるのは、この国権派と民権派の対立軸でした。
 国権派の欧化政策のありようが、日本人のくせに日本を見下す西洋かぶれを生み出しました。この鼻持ちならない西洋かぶれに対する異議として唱えられたのが国粋主義でした。
 国粋主義の内容は、日本にも当然いい所は沢山あるのだし、日本が卑下する事はないという考えでした。
 国粋主義は排外主義ではありません。馬鹿げた西洋かぶれは排しますが、自ら誇りを持つが故に西洋も尊重すべきところは尊重し、植民地における横暴といった点はこれを排するという、とても常識的なものです。
 西欧かぶれの元凶が国権派の欧化政策であった事から、民権派は国粋主義でした。
 民権派は自由党を作っていましたが、その自由党の呼びかけで結成された院外団が大日本国粋会でした。
 第一回、第二回の選挙で、警察や国権派右翼が阻止線で包囲する投票所に抜刀で突入し、投票の血路を開いたのは民権派壮士ですが、この人々が自由党や大日本国粋会に参加して行きます。日本の民主主義の選挙は、後に国粋会に集まる民権派壮士の白刃によって切り開かれたのでした。

2017年6月23日金曜日

攘夷の展望、あるいは人斬りの遺産

:これは前のブログに投稿していたものですが、他の投稿に関係するので、こちらに再掲します。

攘夷の展望、あるいは人斬りの遺産


2013/06/14

    幕末に活躍した人斬り彦斎こと、肥後熊本の河上彦斎は佐久間象山を斬った男だが、維新後もかつての同志に攘夷を迫り続けたため、新政府に対する陰謀の罪を着せられて斬刑に処されたという。
攘夷は維新の中心思想であったが、薩長の権力奪取後は焦点を失ってしまう。人斬り半次郎こと、薩摩の中村半次郎は、桐野利秋と改名し、陸軍少将となってしまうと、西洋かぶれをし、チョビヒゲをはやし、西郷隆盛にみっともないからよせとたしなめられる始末だった。
幕末を席巻した攘夷論は、維新後、攘夷のためには国力を蓄える事が先決だとする大攘夷論と、大攘夷論が興ったために「小攘夷」とされてしまう従来の攘夷論に分岐する。
そもそも幕末において、尊皇攘夷派でない政治勢力はなかった。そのため、維新などといっても、所詮は薩長の権力奪取でしかないという見方も出来てしまう。しかし、河上彦斎に見るように、攘夷論は薩長権力の樹立という局面を超え、維新後も続いていた。言葉を変えて言えば、維新は攘夷において未完だった。そのため、攘夷は、維新によって始まった近代日本の基調、あるいは無意識となる。
大東亜共栄圏を掲げ、欧米列強と戦った先の大戦は、一面において、スターリンの謀略、ルーズベルトの思惑、日本自身の領土的野心などが絡まり合い、日本を開戦に追いつめたのだが、一方の機微として東アジアに拡大された攘夷でもあった。 戦前、官僚から軍部皇道派、民間右翼、そして、おそらく民権運動にいたるまで、すでに終わったものとして維新を見てはいなかった。自らが完成させる事として維新を受け止めていた。この意識の根本にあったのが攘夷だと見ていいだろう。
攘夷というと、夜郎自大な排外姿勢と思われているかもしれない。しかし、再び明治に目を転じ、李王朝への外交を見ると、少なくとも初期において明治政府は礼節を持ち、平和的で妥当な態度で関係を結ぼうとしている。結果として征韓論になってしまったのは残念だが、平和的な関係を求める日本に対して、取り付く島もないかたくなな態度を撮り続けたのは李朝だった。ただ、ここではその事の歴史的評価ではなく、この問題を攘夷の質を推測する材料と出来ればいい。攘夷は国家としての日本の独立自立と、他国との平等な関係を、それが平等であるからには平和的に築きあげようとするだけの質を持っていた。
攘夷の夷とは動物の事であり、他の民族を動物に近い野蛮なものとして蔑む意味を持つ言葉だ。しかし、日本の攘夷論には、意味の転倒が繰り込まれている。つまり、野蛮な人倫にもとる行為をする者、何事も無理やりに力で押し通そうとする者を夷とする。だから日本人が外国で自ら夷となるのを戒めるだけの可能性を持っていた。
大東亜戦争に負けた結果、日本は、アメリカを筆頭とする連合国側に、戦前の日本がすべて悪だという意識を擦り込まれた。占領する側の政策としては当然の事なのだろうが、その結果、日本は自らを卑下し、否定し、自虐的になってしまう傾向を持ってしまった。反省と自虐が違うものであるのは当然の話だが、自虐的でなければ反省した事にならないという風潮まで出来てしまった。
戦前に悪いところがなかったはずはないが、どこからどこまで、丸ごとダメだったはずもない。そんなあたりまえの事にすら思い至らない人も少なからずいる。
この奇妙な状態を戦後とすれば、何十年続こうとも、戦後という現象は終わる。そして、日本は維新の完成という、近代日本の根本的な主題に向きあわねばならなくなる。その時、攘夷は始末し、昇華しなければならないものとして現れるだろう。

2017年6月22日木曜日

「監視社会」って、自分が社会不適応だと言っているにすぎない

「テロ等準備罪」の成立で、日本が警察国家になると言っている人々がいるらしい。
 その人達が警察国家をどのように定義して使っているか知らないけれど、定義も何もなく、「昔はオレも過激な事をやったもんだし、今だって気持ちは同じだ」みたいな(・・・)気分から、警察が取り締まり対象とする集団・組織に肩入れして無駄口を叩いているのだとしたら、哀れという以外にない。
 伏せ字にした(・・・)の部分は、「文学的過激派」と読んでいただけると助かる。かつて過激だった人たちは、「文学」という言葉をそのように使い、貶めていた。妄想と文学の違いがわからない、恐ろしい未開人だった。

 警察国家というのは、過剰な権限を与えられた警察が超法規的に国民の行動や表現・思想を監視し、人権や自由を侵害する国家という風に定義するのでいいかと思うが、北朝鮮や支那ではないのだから、心配する必要はない。

 警察が人権侵害をやらないとは思わない。違法な捜査、取り調べをやらないなどとは言わない。だが、今の人員と予算と権限で、日本国民の表現・思想。行動を監視するのは不可能だ。そんな不効率な事はやらない。
 そんな見当違いな事を言って危機感を煽るのは馬鹿げているから、言っている人たちが馬鹿だと判断されるだけだ。

 ヨーロッパでは、テロが起きているが、事前に摘発されるテロもある。すべてを防ぐのは不可能だが、未然に防いだり、迅速に発生したテロの犯人を特定し、背後を洗い出している。日本のように犯人逮捕に何年も何十年もかけていては、また人が殺されてしまう。そういう切迫した中で、日本の法整備が求められたのはあたりまえだ。
 同時に、警官が襲われたと言って、すぐにテロだと断定はせず、きちんとテロとテロではない犯行の区別もつけている。それによって、犯人の人権は守られている。

 テロ事件の防いだり、捜査をするために法整備をしたら警察国家だというのなら、今、世界中が警察国家を求めている事になる。その理由は、警察の権力志向ではなく、人の首を斬って面白がっているISのような、野蛮人によるテロの脅威があるからだ。

 もし、本気で「テロ等準備罪」に反対する人がいるなら、「警察国家」だとか「監視社会」だとか、空虚な言葉を弄んだり、法律でテロは防げないなどと無責任な放言をしていないで、この法律が出て来る背景・根拠を調べ、考えてみるべきだ。手も足も出ないはずだ。



 

知らない人にはわからないだろうけど、今回も解説はしないね

 なぜだか由利徹の胸毛ネックレスを思い出した。
 石川五エ門の入浴場面で使うやつだ。

 由利徹を思い出すと、南利明も出て来る。
 南利明と言えば、
「どえりゃーうみゃーでかんわぬくたまるでよー」
(訳:とても美味しいです。温まります)
 だが、何を言ってるかがわかったのは、随分と後の事だった。

 由利徹の石川五エ門や牢名主、好きだったな。あれが出来る芸人はもういないな。いる必要もないかもしれないけど・・・




ディーン・マーチンを聞きながら

 いつも酔っ払っていた印象のあるディーン・マーチンのマンボ・イタリアーノは楽しい曲だ。いや、マーチンの歌はたいてい楽しいのがいい所だ。心に染みすぎないのが楽なんだね。
 マンボ・イタリアーノの歌唱で言えば、ベット・ミドラーの方が迫力も歌唱力も上だし、楽しめるが、ミドラーが楽しめるのは、ミドラーがマーチンを楽しんでいるのが伝わって来るからだ。そういう芸当はマーチンには不可能で、ミドラーにしか出来ない事なのだが、そういう事が出来ないマーチンはそのまま楽しい。

 マーチンの実人生に苦労があったかなかったか、そういう事は知らないが、芸のありようが、軽みを持っていて、その感じのちょうど良さは類をみないものだった。
 ディーン・マーチンが愛されたのは、そこに多くの人が救いを感じたからだと思う。





言葉の底辺2

 ツイッターを見てたら、目についてしまった。
「強く食いかかった」
 という部分だ。
 これは
「強く食い下がった」
 の書き間違いだ。
 内容はとてもいい指摘なだけに、少し残念だった。

「食ってかかる」と「食い下がる」が混ざり合ってしまったのかもしれない。
 でも、意味から言うと、重ならなりません。



言葉の底辺

 ツイッターの投稿の中に、
選べられる」
 という言葉があった。投稿内容ではなくて、この言葉遣いを取り上げたい。
 これは、「選ぶことが出来る」という意味を言っていて、「ら」抜きをしないで使っているのだと推測する。「ら」抜きをしたら、
「選べれる」
 という言い方になる。読んでも聞いても醜悪だ。
 でも、「選べられる」も間違いだ。
「選ぶことが出来る」という意味は、
「選べる」
 で十分だ。

 例:
 好きな色を選べるのがいいね。

 ちゃんと通じるはずだ。すっきりしてるし。


 たまたま見た「選べられる」が目についただけで、これを投稿した方、投稿内容に特別な含みがあるわけではないのはご理解いただきたい。



 

雨の日、本を待ちわびる

 気圧低いせいか、今日、身体がだるい。

 ロレッタ・ナポレオニの新刊、何度も発売日が変更になってる。今のところ8月だけど、本当に出るのかな?
 初めて読んだのが「テロ・インク」だけど、知的で現実的な解析とレポートはいつも目を見張る。ピカイチだと思う。ヨーロッパやアメリカでは評価の高い人だけど、日本ではそうでもない。不思議な気がする。




2017年6月21日水曜日

区別したり関連を見つけたりが出来ない人、多いみたいだね

 憲法改正で自衛隊を国軍とするという議論になると、色々な所で戦争の話になる。
 どうして憲法改正と戦争が一緒くたに議論され、トレードオフであるかのような印象を醸し出すのか理解できない。
 憲法を改正し、自衛隊を国軍としたら、すぐさま戦争になるわけではない。また、今のままでも、北朝鮮や支那がしかけて来たら戦争になり、自衛隊が戦わねばならない。

 戦争は、憲法改正とも自衛隊の国軍化とも関係がない。有事=戦争の場合、まず自衛隊が出動するという役割が決っているだけだ。

(もっとも、その役割を果たすための法整備が整っていないので、超法規的にやって役割を果たすか、役割を果たす事を断念するかしかない)。

 今の憲法に「平和」とフレームがつけられているから、これを改正すると「戦争」というフレームがつくと、話を飛躍させ、憲法改正と戦争を一緒くたに議論しようとするのだろうが、それは印象だし、感情論にすぎない。憲法を改正し、それからも「平和」憲法と呼べばいいだけじゃないだろうか。

 憲法を改正し、自衛隊を国軍化しても、平和を守ろうという努力に変わりはない。それが矛盾すると考える人は、間違っている。



 


 

韓国大統領って、日本語出来るのかな

「福島原発の事故で2016年3月現在、1368人が死亡」発言の韓国・文在寅大統領、発言の元は東京新聞だったが、東京新聞読んでるのかね。日本語出来るのかね。出来ないとしたら、誰がその記事を教えたんだろう・・・???




2017年6月20日火曜日

文発言に、韓国内で間違いの指摘

 韓国の文在寅大統領が「福島原発の事故で2016年3月現在、1368人が死亡した」と、事実と異なる発言をした事に対して、韓国内の原発専門家らが間違いを指摘したそうだ。
 色々な所で、日本人も韓国人も感情的になっている時に、こうした冷静な対応をする人がいてくれてよかった。

 文発言の元となった「1368人死亡」は、昨年3月6日の東京新聞による報道だという。困ったものだが、それを確かめもせずに演説で触れるというのは、国家指導者として軽率に感じられる。
 日本も、鳩山とか、菅とか、そういう馬鹿で軽率で支離滅裂で最低の者たちを国家元首の席につけた事があるので、大きな事は言えないし、声がひっくり返ってしまうが、お互いに、もうちょっとちゃんとやろうよ。

 記事は下のタイトルの青色の部分がリンクになっています。
 朝鮮日報の李永完記者の記事です。

福島第1原発事故で1368人死亡? 文大統領の脱原発演説に専門家から異論

福島事故の死者1368人…「95%はストレスによる健康悪化が原因」

「事故現場で被ばくにより死亡した人はいない」





憲法を改正し、自衛隊を正式に軍隊としよう

 憲法を改正し、自衛隊を正式に国軍とするのは、あたりまえの事だ。そして、それは戦争とは別の事だ。

 日本に対して戦争を挑発している国はあるが、日本が軍事的に威嚇している国はない。日本が平和を望んでいるからだ。自衛隊が国軍となっても、それは変わりない。デマを飛ばして危機感を煽る事が自分たちの勢力拡大につながると思っている人々は別だが、自衛隊を国軍にしたら、すぐに戦争を始めるなどと思っている人はいない。
 何かというと、戦前に似てきたと感じてみたり、戦前に逆戻りするのではないかと危惧して見せたりする人が、年齢的に見てどれだけ戦前を知っているのか疑問だ。感じたり、思ったり、案じたりは、根拠がなくても出来る。そういう人たちの相手はしていられない。

 憲法改正と自衛隊を正式の日本軍とする事に賛成だ。






ポール・マッカートニーのニューヨークのライブは良かった

「レット・イット・ビー」は、初めて聞いた時に、それまでこの曲が存在していなかったとは信じがたい曲だった。マッカートニーの曲にはそういうところがある。新鮮さと同時によく馴染んだ感覚を持てる。
 苦しい時にマリア様が声をかけてくれる。なるがままに、なるがままに。

 キリスト教の重要な教義(ドグマ)に三位一体がある。その辺のオッサンが、三者の協力を言うのにこの言葉を使ったりするが(3Pには使わないと思う・・・)、それはただの馬鹿だ(馬鹿だから3Pにも使うかな・・・)。神(ヤハウェ)と子(キリスト)と聖霊(精霊ではなくて「せい」に「ひじり」を使います。キリストが天に召された後、神は聖霊を遣わせたという事のようです)を指す言葉で、それ以外を意味する事は絶対にない。
 この三位一体は、ユダヤ教を起源とする一神教の神の現れ方の事で、ヤハウェもキリストも聖霊も同じだという考え方だ。3つにして1つ、1つにして3つなんていい方をすると、猿飛佐助の術みたいになってしまうが、カトリックの最重要教義だ。
 で、ヤハウェが男なので、三位も全部男になる。この話はこれで閉じる。
 ところが、問題がひとつあった。聖母マリアの存在だ。これがはみ出してしまった。しかし、そして、しかも、マリアは物凄く慕われ、人気がある。

 マリア信仰は色々な場所で根強いけれど、そういう場所のひとつがポーランドだった。
 冷戦末期にアメリカと手を組み、ポーランドの連帯運動を強力に支援したローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はポーランド人だった。彼の時代、CIAとされる神父がバチカンに乗り込み、ポーランド支援を補佐したとも言われている。
 バチカン銀行(宗教事業協会)は世界最大の銀行とも言われ、実務はロスチャイルドがやっているが、ここが連帯にフィナンスした。
 ヨハネ・パウロ教皇は1981年にトルコ人メフメト・アジャに銃撃され、重症を負ったが、一命をとりとめた。事件の日がファティマの聖母マリア出現の記念日だった事から、ヨハネ・パウロ二世はその後ファティマの奇跡にのめり込んだ。

 この暗殺未遂事件の背後にソ連のKGBがいて、ブルガリア、東ドイツも関与していたという。

 ファティマの奇跡はポルトガルのファティマという村で、三人の少女の前に聖母マリアが現れ、3つの予言を授けたという話で、バチカンは正式に奇跡を認定している(教会が認定していないものは無認可奇跡で、奇跡にうちに入らない。もちろん、そこらの惚れた腫れたが認可される事はありえない)。
 この3つの予言のうち2つは早いうちに公表されていたが、第3の予言は1960年に公開するようにとマリア様が指示したので公開されなかった。そして、その時が過ぎても公開されなかったため、様々な憶測を呼んだ。日本でも、憶測本が出ていた。
 今は公開されたが、まだ本物は出ていないと考える人も多い。

 イベリア半島は、カトリック教会の肝いりでイスラム勢力を追い出した場所だ。これがレコンキスタ。教会は、そこにスペインとポルトガルを建国する。どうしてスペインだけではなかったのかというと、その頃、大きな力を持っていたテンプル騎士団が自分たちの国を建国したいとしてポルトガルを作ったからだ。フランスが教皇庁に影響力を持っていた時代にテンプル騎士団は弾圧されたが、ポルトガルのテンプル騎士団はキリスト騎士団と名称を変えて存続した。

 マリア信仰に関する伝説のひとつが、映画「ダ・ヴィンチ・コード」の元になっている。映画も原作もつまらないが、ネタのチョイスは上手い。
 
 マリア様の話は、ファティマの予言まで来て元にもどる。
 第三の予言は、マッカートニーの言った通りかもしれないよ。あまりキリスト教的ではないけれど、三位一体(神)からはみ出たものだからしかたないね。

 苦しい時にマリア様が声をかけてくれる。なるがままに、なるがままに。


 

白上げて、赤上げないで、白下げない

 安倍内閣の支持率が下がったそうだ。ネットで見てみたら、以下のような各社の世論調査が報告されていた。

安倍内閣支持率
読売新聞 49 %
毎日新聞 36 %
日テレ  39.8 %
朝日新聞 41 %
共同通信 44.9 9%
日経、テレ東 49%


 おそらく電話調査の結果だろう、36%から49%の幅がある。
 毎日の36%と読売、日経・テレ東の49%の開きは13%とかなりある。ざっと見ると、朝日の41%あたりが正解に近いように思えて来るが、朝日もあまりアテになる感じがしない。40%台の上の方というあたりじゃないかなというのが、最初の感想だ。
 でも、そもそもこの調査をした時に、家にいて電話調査に応じられた人というのが条件としてある事に気がつくと、これは情報弱者とか言われている層の調査でしかないんじゃないかと思えて来る。
 つまり、新聞やテレビのワイドショーの騒ぎにさらされている人々の傾向が示されているだけかもしれない。
 そうだとしたら、あれだけ新聞テレビが大騒ぎしたにも関わらず、40%台が安倍内閣を支持しているという事が、情報弱者と言われている人々の健全さを示しているように感じられて来る。

 この安倍内閣支持率低下の報道で、新聞テレビは加計学園問題や、テロ等準備罪が理由だとしている。ふうん、それって、自分たちが騒いだから安倍内閣支持率が下がったと言いたいんだね。じゃあ、一緒に騒いだ民進党の支持率見てみよう。

政党支持率
読売
自民党 41 %
民進党 7 %
日テレ
自民党 38.5 %
民進党 11.0 %

 政党支持率はあまり変わってないそうだ。
 民進党の支持率が上がっているんだったら、加計学園問題やテロ等準備罪が理由と言える余地があるけれど、どうも、そういうんじゃないようだね。
 安倍内閣の支持率を削りはしたけれど、全体としてネガティブ・キャンペーンは失敗したと考えた方がいいんじゃないかな。

 この調査で毎日新聞社の調査が目立って支持率が低いけれど、それは、毎日が調査結果を捻じ曲げたとかそういう事ではなくて、電話調査の質問の仕方が影響しているかもしれない。米大統領選挙の世論調査の失敗で、調査方法に色々と問題点が指摘されているけれど、そういう反省を踏まえた調査が行われているようには見えない。
 調査対象はランダム(無作為)に選ぶんだけど、調査する時間帯に家にいて、調査に応じられる人という事になるわけだから、自ずと対象が限られて来る。

 新聞を読む層は、もうほとんど高齢者層、別の言い方をすれば、情報弱者と言われる層だろう。この調査は、新聞にとって見れば、読者層の傾向を反映しているという事で、いいのかもしれない。世論調査としてではなく、読者層調査というわけだ。そっちの方が企業としては価値のある情報だね。
 テレビにしても似たようなものだ。

 まだ、テロ等準備罪で意見が分かれるならわかる気がするが、加計学園が同列に並ぶとなると、違うんじゃないかと思う。新聞テレビは、問題にしているつもりなのだろうが、加計学園問題の何が問題で、どういう問題なのか、まったくわからない。騒いでいる人々の幼稚さ、無内容さしか伝わって来ないからだ。
 それでも、内閣支持率を下げたという事は、影響力を示した事になるのだろう。情報弱者への影響力は、まだあるのだ。

 でもさ、弱者はいたわるべき存在ではないのか? 情報弱者をいたわるという事は、自分たちの影響力を維持するために、オーディエンスを囲い込む事ではなくて、ネットの情報もまんべんなく伝える努力をして行く事に思える。

 違う言い方をすれば、情報の非対称性を利用して情報弱者を食い物にするのではなく、対称性を確保すべく向かい合う事が必要だし、求められているはずだ。

 今、情報弱者層の情報環境は、新聞テレビのおかげでひどく劣化している。昔なら、ネットもなく、ほとんどの層を囲いこめたが、今はそういうわけにいかなくなっているから、差が大きくなってしまったのだ。ネットに接続できている人たちが、情報強者かというと、それも違うと思うが、新聞テレビの報道を相対化出来ているという点では、はるかに優位にいる。

 新聞テレビが保持している影響力は、内閣支持率が下がった割合に見合っているのだろう。それは、こんなものだろうなと思える程度で、それほどたいしたものには感じられない。



2017年6月19日月曜日

ドナドナドーナ、ドーナ

「社畜」という言葉がある。いい言葉だとは思わない。でも、共産党が、自主性があり、自分でものを考えられる人をことごとく除名してき来たのを見ると、残っている人を「党畜」だと指摘するのは、的外れとは思えない。
 党畜の党を支持する人たちも、亜党畜と言えるかもしれない。
 党畜発生は、ソビエト・ロシアの下部機関コミンテルンの命令への盲従が元だろう。

 露助は西欧に目を向けていて、ベトナム反戦運動を煽って上手く行った後は、手先だったパレスチナのテロリストを使って、西ヨーロッパを挟み撃ちにする作戦を展開した。
 西ヨーロッパでテロが吹き荒れた時代を鉛の時代と言うのだけれど、パレスチナからヨーロッパのテロリストたちに、山ほど武器が送られた。
 ロシアで教育されたカルロス・ザ・ジャッカル=ラミレスもテロを繰り返した。カルロスはブルガリアを拠点に活動したらしいが、要するに、ロシア情報機関の破壊工作員だろう。
 あの時、日本はロシアの標的ではなかったので、阿呆な連中が独自に爆弾テロをやるぐらいが精一杯だったのは幸いだった。朝鮮系、支那系だけでなく、多民族国家ロシアには黄色人種もいて、いつでも、疑似日本人テロリストを送り出せる。
 今でも、領土拡張のために必要だと考えたら、日本でテロを展開し、社会不安を醸成した上で攻め込んで来るだろう。日本のように平和を願い、努力する国は少ない。
 ソビエト・ロシアは、国民を国畜としていた軍事統制全体主義国家だった。外国の党など、本当はどうでも良かっただろう。余計な事を言わずに黙って畜に甘んじていればいいと考え、そうさせていた。

 結局、党畜党はロシアにとって、それほど大事ではなかったかもしれない。それよりも、自民党や政府内にいるロシア派の方が使いでがあっただろう。
 党畜さんたち、残念だったね。
 
 

2017年6月18日日曜日

小沢一郎はファシストだったんじゃなかったっけ?

 共産党が「小沢一郎はファシストだ」と、宣伝カーを出して言って回ってた事があったけど、今はファシストじゃなくなったのかな?
 共産党はその筆頭だけど、野党とか左翼とかって、ファシストの定義をせずに人をファシストよばわりして、訂正もせずに、有耶無耶にする。
 いや、小沢一郎がどこかで考えを変え、ファシストだった自分を反省したのかな?
 そういう事もないなら、つまり、小沢一郎がファシストのままなら、脱原発はファシストの主張になるし、違うなら、かつて共産党は間違った誹謗中傷をした事になる。さて、どちらだろうか?

 どちらかというと、民主党に入る前までの小沢一郎は普通だったが、民主党に入るあたりから怪しくなった感じがする。脱原発に首を突っ込んでても、馬鹿だなとは思うけど、今でもファシストだとは思わない。それよりも、元々、気の小さな人だったようだから、親分でいるのが苦しくなってしまったんだろうねとは思う。

 まあ、小沢一郎の人物は横に置いて、共産党は、やっぱりその場その場でいい加減な事を言って騒いでは、三歩歩かないうちにすっかり忘れて、次の騒ぎをはじめる連中だというのは確かなようだね。

 ああ、共産党、口だけじゃなくて、暴力も凄いよ。全共闘運動華やかなりし頃、一番強いゲバ部隊は民青で、その特殊部隊があかつき行動隊、二番目が革マルの部隊だったようだ。他はどんぐりの背比べだったらしい。
 ゲバ民と呼ばれた民青ゲバ部隊は存在しない事になってたが、これは共産党の嘘のひとつ。共産党は、暴言と暴力と嘘で固めた組織だという事例のひとつ。さすが、終戦直後、暴れまわっていた朝鮮人の手で刑務所から出された人殺しをトップに頂き、ソビエトから資金援助されていた党だ。

 おー、こわ。



日本は平和だ



元陸自レンジャーなど自衛官OBらが平和願う団体設立 「日本は戦争に不向き」


 これ、週刊金曜日の記事だけど、ヤフーニュースにあった。
「日本は戦争に不向き」って、稚拙すぎる言葉だね。確かに、北朝鮮は戦争に向いてるというか、戦争を向いてるというか、超軍国主義の軍事国家だけどね。日本は違う。
 平和を願う団体かぁ・・・日本は平和だからね。支那や北朝鮮が攻めて来なければ戦争なんかにならないもんね。

 北朝鮮も、拉致問題に取り組む誠実さが少しでもあればいいんだけど、そうだったら、最初から拉致なんてやらかさないね。





2017年6月17日土曜日

大丈夫って、時々、意味わからない

「こういう着こなしすると、脚が短く見えるかな」
「大丈夫だよ。どうやっても短いから」



猫時計がいない

 何だか猫時計、消えてる・・・可愛かったのに・・・

2017年6月16日金曜日

どちらかと言えばね

 どうも、左足より右足の方が臭い。



しぶといタレントさんだったと思う

 野際陽子が死んだ。
 キーハンターってやってた女優さんだ。

 ♪ あー、あの日愛した人と、今日は敵と味方の私ー ♪

 って主題歌歌ってた。確か、妹は、英国のフリーというバンドのボーカル、ポール・ロジャースと結婚してたと聞いた事がある。今は知らない。

 で、キーハンターの歌だけど、ただの普通の夫婦だと思うのです。



文部省、いらなくね

 どうして大学が学部を新設するのに、文部省に認めてもらわなきゃいけないんだ?
 経営判断だけでいいだろう。それでダメなら倒産すればいいだけだ。どうして国家統制を受ける必要がある?

 文部省は許認可の権限を手放したくないだろう。各大学に天下り用の教授席を持っていて、他の省庁にもその席を都合し、よろしくやって来た。

2017年6月15日木曜日

耽溺

 テレビでオシャレなお店の紹介を見るたびに、こういう店のある街に住んでなくて良かったと思う。道を歩いていると、頭の上から、フィリピン人のおばちゃんが大きな声で携帯電話をしているタガログ語が聞こえて来る方が、よく理解できないけど、オシャレなのだけはわかる店があるよりはいい。フィリピン人女は、マンションの二階の通路に出て話している。何か力に満ち満ちているな、とてもかなわない。こういうのげんなりするし、本当は静かな方がいいが、贅沢は言わない。

 贅沢と無縁なのはそれだけじゃない。よく考えると、どうやったら贅沢が出来るのか、やり方を知らない。ユニクロの何倍もする服があるのを知って、そりゃ過払いだといきどおりを感じたが、相手にされなかった。アディーレ法律事務所に無料電話相談してもだめみたいだ。残念。

都市の静けさ

 吉野家も割りと静かだが、これまで一番静かだったのはやよい軒だ。
 人形町で入ったのだが、客は男ばかりで誰もしゃべってなどいない。ただ黙々と食べるだけだ。これで女がいたら、食う口と喋る口が別にあるから、うるさくなる。
 店内は無音で、静かに、ゆったりと食事が出来た。

2017年6月14日水曜日

ヨガや太極拳はエアロビ・ダンスではない

 太極拳やヨガなどは音楽をかけて稽古するものではない。本来、それぞれの人が自分のその時のリズムで動作するもので、音楽に合わせてみんなでイチ、ニィ、サンというものではないからだ。

夜の向こうにたくさんのものが消えて行く

 埼玉県の浦和に住んでいた事がある。駅の東側だった。
ある夜、駅からの帰り道を歩いていると、声をかけて来た人がいる。
「東口は、元は色街で赤線だったんだよ」
そんな風に話は始まった。


「戦後、進駐軍は朝霞にいて、車で女を買いに来るんだ。凄いスピードでジープを飛ばしやがって、人がいてもブレーキなんかかけやしない。威張りくさってやがった」

「それでも、米軍だって言うから、さぞや立派な連中かと思って見てたら、何か食ってる。それが生の玉ねぎだ。ただの田舎者だ」

「その頃、何だか嫌になって、街で喧嘩ばかりしていた。それで目をつけられたんだろうな、ある時、ヤクザ者たちに囲まれ、赤線宿に連れ込まれた。これで終わりかな、ええい、構わねえやと思ってふてくされていたら、ヤキを入れられる寸前に、赤線の女が飛び込んで来た。その女が、この人は違う、堪忍してくれと、頼んでくれた。小学校の同級生だったらしい。俺の事を覚えていて、この人は上の学校に行ってるんだから、そこらの半端者と違うから助けてくれと、必死にかばってくれた。小学校の同級生だったというだけで、体を張ってくれた」

「助けられたけど、あそこには二度と近寄れない。礼ひとつ言えずにそのまんまだ」

この人のように終戦後、虚無感に陥って馬鹿の真似をした子供や若者は日本中にいた。阿久悠が「リンゴの唄」は終戦直後に流行ったのではなくて、少し後に出て来たのだと書き残した文章の中で言っている。
本物の愚連隊の方は、闇市を取り合って、元気に三国人と戦っていたし、盛り場で米兵と喧嘩していた。博徒は客商売の賭場が大事で専念し、喧嘩出入りは愚連隊に頼んでいた。愚連隊だった人が、ヤクザは弱かったと教えてくれた事があった。

この人は、悲しかったのだ。玉ねぎをかじりながらジープを飛ばし、日本人など跳ねても構わないと心得ているアメリカの田舎者に蹂躙される日本が悲しかった。そんな奴らに買われる同級生の女も悲しかったし、その女に助けられた自分が情けなかった・・・

あの人はその後、情けなく生きて行くのが一番誠実な生き方だったろうし、そうするしかなかった。本当の馬鹿だったら、くだらない意地を張って、喧嘩三昧を続け、早死しただろう。同級生が「この人は違う」と指摘したのは正しかった。しっかりと情けない生き方に耐えた。
たいていの男は、そういう風に女に見透かされるのに手も足も出ない感覚を持ち、嫌がるのだが、あの人は命がけでそのありがたさを体験した。死ぬまでそれを粗末にしない以外に生き方はなかっただろう。至上の幸福を手放さないだけの素直さはあった。

帰り道はずっと同じだったけれど、プラスチック工場をやっているというその人と、二度と会う事はなかった。









2017年6月11日日曜日

ああ、上野駅

 昔々、通勤途中、上野駅でトイレに入った。大勢並んでいた。あまり考えずにいい加減に後ろに並んだ。
 失敗だった。先頭にいるのは、何と爺ィだった。

アッサム問題

 安いアッサム・ティーの茶葉を買った。臭いが悪い。
 そこで、臭いを飛ばすため、温め直しを飲んでみた。
 臭いがなくなると、味は良い事に気がついた。

進歩派って、停滞や反動を生み出すだけだし、自分たち自身一度も進歩した事がない

 今時、共産党をはじめ、左翼というか進歩派というか、そういう連中の言う事を真に受ける方がおかしいんだけど、年寄りは自分の知ってる(と思ってる)事で朦朧と感想を持ち、テレビから仕入れた「意見」を持ったりする。
 新聞を読むのは年寄りだけなので、年寄りの知らない(あまりにも多くの事)はない事にして、新聞は年寄りが知ってると思ってる事を、知ってると思っている通りに「報道」する。
 左翼には、まったく内容がないが、その形骸は年寄りが知っていると思っている事に適応する。ここから何か役に立つ内容を引き出すには、病理の症例として見る以外にないかもしれない。
 今のメディアのザマは、高齢化社会の社会的脳軟化の症状みたいなもんだ(これ、比喩だからね)。

2017年6月10日土曜日

未成年かぁ、ピート・タウンゼントもなぁ・・・

 小出恵介、「調査」だったと言って、安倍の悪口でも言えば、朝日新聞が英雄にしてくれるのに・・・
 今からでも間に合うかもよ。

2017年6月9日金曜日

問題までが遠すぎて、解決には至らない

 女性はよく「男は問題から逃げる」と言う。確かに逃げ腰だけれども、そこはアプローチが違うと考えられないだろうか?
 女性が正面から正眼に構え、えいやと突撃する所で、男はスキをうかがったり、理解しようとしたり、一回りしてみたり・・・女性は、そこでじれったがるけれども、何でもかんでも正面突破すればいいというものでもない・・・と思う・・・ちがうかもしれないけれど・・・確かめてみないとわからないし・・・だから、逃げてるんじゃなくて、確かめて・・・言い訳じゃなくて・・・確かめ・・・て・・・怒ることないと・・・あるね。ある・・・えーと、うんと、あー、えー、まぁその・・・

支那政府は支那人を統治していればいい

 中共は支那人を統治しているという点だけは唯一無二だ。国民党も、もう近代化されて支那人統治には耐えられないだろう。本当は清王朝が一番良かったかもしれないけど、それはないものねだりになる。
 言い方を変えると、支那人が野放しになるよりは中共に我慢した方がマシとなる。

 清王朝は大帝国で、当時の列強に植民地を貸している感覚だったと思う。だから、列強がいなくなった後は、支那の下になるのが当然だというのが、今の支那の感覚かもしれない。あの平気さ、図々しさの理由はそこじゃないかね。
 ただ、誰も中共の下に置かれたくないし、鼻の穴を膨らませた支那人に威張られたくもない。





英国って、北朝鮮に外交官駐在させてるんだよね

 EU見てると、ヨーロッパって、結局、ロシアかドイツに支配される運命だったのかもしれないと思えて来る。

 ルーズベルトは、これが嫌でソビエトと手を組んでドイツを叩いた。ヒトラーだけじゃなく、スターリンも十分以上に悪魔だったけど、それでも、ドイツを打倒した。
 あの時点ではそれで正解だったし、ドイツとソビエトがつながっていて、第二次大戦前のドイツ軍が、ソビエト内で秘密軍事演習している状態は見逃せなかっただろう。ドイツとソビエトの間に楔を打ち込めば、対日政策も、対支政策も決まって来る。

 日本は東アジアで最大の軍事力を持っていたが、目的は半ば達しつつ、大東亜戦争に負け、無力化した。それ以後、他の手段をもってする戦争の継続である政治力によってEU統合に突き進んだドイツと違って、日本は何もしなかった。ドイツの構想力には舌を巻くが、日本人の国民性にそんなものはない。ドイツ人はスペイン人やイタリア人なんか嫌いだろうし、嫌われてもいるだろうに、無理に無理を重ねて統合する意味が・・・うーん、もしかしたら、ヴェストファーレン条約から、一歩前に進むみたいな意味かな、だったら価値がある。

 対戦前、英国は対独政策に沿って、大陸に諜報網を構築していた。これは対独戦から、対露冷戦まで稼働した。
 元々、イタリア北部のアナーキスト(リバタリアン)組合活動家だったムッソリーニのファッショ運動を切り捨てたカトリックは、それ以来、冷戦時代を通して英米の戦略に乗った。最大と言える作戦はポーランド連帯で、情報機関、教会、右翼、暗黒街、フリーメーソン、オプスデイまで参加し、資金を含めてあらゆる支援を展開した。
 その結果が、ドイツって・・・・

 カトリックは、リベリア半島やイタリアやポーランド、オーストリアやハンガリー、どうするつもりかな・・・

 英国のEU離脱で、地政学は復活した。

2017年6月8日木曜日

ここに未来が訪れるには、長い年月を必要とする

 人工知能に脅かされるって、平気だよ。お前、最初から知能なんてないんだから。人工知能がお前にとって代わるのは不可能だよ。



幸せの法則の法則

 丼ばちゃ浮いた浮いた、すててこシャンシャン

 と歌うと、少し愉快な気持ちになる。

 幸せ業界の人たちは、こんな事言わないけど・・・


2017年6月7日水曜日

ガス人間第一号って、あったな

 ウンコでしゃがむ直前に屁をこいたら、拡散前のクラウドに頭を突っ込む格好になった。希釈されていないガス状のガスにさらされて、死ぬかと思った。



銃弾が汚れてると、銃身が詰まって暴発するよ

 週刊新潮のカンニングしてた週刊文春、さっさと謝って、またやればいいじゃん。
 今度は、週刊新潮のトップ記事丸写しはどうかな?

ところで:
「文春砲、汚れた銃弾」というタイトル、大砲だったら銃弾じゃなくて砲弾だと思うんだけど、大砲なのに銃弾というのは、大げさなわりに、ネタは小さいという皮肉なのかな?
 だったら、「文春砲、汚れた爪楊枝」とか、「汚れた糸くず」とかどうだろ。直接的なんだったら、「文春砲の短小包茎ソチン先細早漏」なんてかなり刺激的だ。



科学的実験と言語の研究

 盛り上がってる時に、
「どんだけ~!」
 って言ったらしらけた。

 テレビの「お姐マンズ」、絶妙の時間帯で始めた番組だったのに、一般的ないい時間帯に持っていって失敗した。放っておきゃ良いものを必ずいじってダメにする。テレビ局って、学ぶ事を知らない馬鹿だね。

 ここで、握った餌を放さなくて捕まる猿の話を持ち出すと嫌われる事は、すでに実験で検証してある。


2017年6月4日日曜日

ウルトラマンはカップ麺が食べられない

 袋麺もカップ麺も生姜を足すと美味しくなる。
 おろし生姜のチューブを握りしめながら、3分間待ってる自分自身がくだらなく感じられるのに耐えるだけの価値は・・・どうかね?

2017年6月3日土曜日

ああ、コリャコリャ

 どんぶりばちゃ、浮いた浮いた ステテコシャンシャン

 とかやって楽しかったなんて、昔の日本人て、やっけぱちになってたのかな・・・?


2017年6月2日金曜日

医療ドラマの次の日

 テレビの医療ドラマを観て、
「凄いなぁ。どうやってあんな診断や手術出来るんだろう?」
 なんて楽しみながら思ってる医者がいたら、嫌だ。
 俺が間違って医者になってるパラレルワールドの住民は可哀想だ。そういう医者になるに決まってるから。とうてい医者になんかなれないこの世界で、みんな良かったと思ってくれ。

 Dr.House の放送日の翌日に無謀な診断が増えたとか、そういう統計ってないのかな?
 Dr.X だったら、無理な手術の失敗とかね。

ほどほどとか、そこそことか・・・

 森羅万象を政治に取り込もうとするのを全体主義という。

 全体主義の問題で、抑圧だとか、人権の侵害とか、そういう倫理的な部分は副次的だ。一番の問題は、何から何まで政治が関与するなんて不可能だという事だ。
 不可能を可能だと思い込み、推進すると、破綻する。
 そこで諦めればまだ救いはあるが、破綻を隠し、成功しているかのように嘘をつく。理想のためには隠蔽も嘘もやむなしとする。でも、無理な事は無理だから、最終的な破局は大きくなる。

 ソ連・東欧や支那、北朝鮮などの社会主義全体主義、ドイツのナチス国家社会主義など、失敗例しかない。
 政治ではなく、信仰で世界を包み込んだ中世欧州も、カトリックからプロテスタント諸派が分岐派生し、国家が世界から分離した事で終わった。

 政治などよりも、はるかに強力で深みのある宗教で出来なかった事を、どうして政治で出来ると思い込んだのか不思議だし、ここでまた宗教を持ち出しても無意味だ。

 でも、人間には、どうも全体主義に向かう傾向があるようだ。また、その傾向は理想と関係がありそうだ。そういう事で、しばらくすれば、誰かが何か持ち出して来るはずだ。

 まったく理想もないようなのも嫌だけれど、理想だけで押し切られても迷惑だ。
 理想は劇薬で、その劇薬を何によって、どれくらい希釈すればいいのか・・・桃屋のめんつゆなら瓶のラベルに書いてあるが、学問とかは濃くする事しか考えていない。勉強するとおかしくなるというのは一面の真理だ。カウンセラーだと薄すぎる・・・

 これは答えの出ていない問題なのか、こちらの無知か・・・さて?

乳がん検診の偽陽性リスクなんて、すぐに調べられるのにね

 乳ガン検診は、ガンの人なら物凄く高い確率で陽性を検出できるようだが、同時に、ガンではない人を陽性だとしてしまう偽陽性の確率も非常に高い。
 偽陽性の場合、何でもない人が苦しい治療を強いられる事を考えると、リスクとしては偽陽性の方が高くつく。
 実際、アメリカの統計で人数ベースで言うと、陽性の人よりも偽陽性の人の方がはるかに多い。

 人気のある芸能人が乳ガンになったからと言って、そのリスクを取る事は賢明ではない。ワイドショーの影響を受けた思いつきで、どうもかなり痛いらしい乳ガン検診を受診した上で偽陽性になったらどこにも救いはない。
 それでも、今のところ、乳ガン検診は、どこも満員で、何ヶ月も待たなければ受診できないらしい。
 
 で、これを嗅ぎつけ、得票につなげようと、政策に掲げる政治家が出て来る。偽陽性のリスクについてまったく触れないので、ちゃんと勉強して政策にすべく真剣に取り組んだのではない事がすぐにわかる。

 女の政治家だったりする。いい加減な女だな。

 森羅万象を政治にたくしこもうとするのを、難しく言うと全体主義政治と言うんだよ。


まあ、こういう事もね

「みんなに知って欲しい」
「知りたくないよ」


2017年6月1日木曜日

悪い音源こそ、いいオーディオがいいんだけど・・・

 年齢のせいか、音楽の好みが古い方に広がった。戦前のブルースの録音なんかだと、音源そのものの音質が悪い。聞き苦しくて困る事もある。
 それで、いいオーディオを使う意味がわかった。新しい、質のいい音源を聞くなら、そこらの安物で十分だ。でも、古い音源は、いいオーディオでないと楽しめない。
 昔のジャズ喫茶がオーディオに凝ったのには、こういう理由があったんだね。好きになったジャズを、いいオーディオで聞くと、さらに好きになる。

 でも、CDドライブに猫の毛が詰まる環境で、オーディオに凝るなんて不可能だし、音楽に溺れたら、イ号潜水艦になって、浮上しないと思う。いいオーディオは、遠く夢見る世界だ。

 アナログのターンテーブルに猫がどういう興味を持つか想像すると、可愛くはなるが、想像の世界から現実に取り出す気持ちにはならなくなる。

 ま、金もない奴が、いいオーディオなんて、考えるものじゃない。


 

これ違くね?

 加計学園問題に興味はないが、報道で「腹心の友」という言葉が出て来るのに違和感がある。腹心と来たら、続くのは「部下」だろう。後で「友」が来るなら、頭は「刎頚」だ。
 こういう決まり文句は意味がつながるからと、勝手に変更して使うものではない。「友」と言いながら、実は上下関係なのを、わざと言っているとか、誰かが知ったかぶりで言ったのを、そのままさらし刑にするとか、そういう遊びはありえるが、そういう悪意の冗談でないのなら、馬鹿だ。
 こんな言い方を平気で使っているメディアは、悪意か馬鹿か、はっきりしてくれると助かるが、そういう誠実さがあるとは思えないので、言いっ放しで終わるとは思う。

 加計学園なんて、どうでもいい話よりも、こうした言葉の乱れが横行する事の方が大きな問題だ。残念ながら「言論機関」は、こうした大きな問題を対象にしないで、瑣末な事に右往左往するのに血道を上げる。

 やっぱり、微妙な悪意を表現するような芸当は、彼らには無理だな。馬鹿なんだな。
 事実を見るのに、馬鹿の視野を通さなければならないのは、ひとつの不幸だ。


幸せの紅茶

 いつもの日東の紅茶がなくなったので、別の茶葉を探し出して飲んだ。
 オレンジかな、皮が入っていて、とてもいい味だし、幸せになった。
 聞いたら、プレゼントで、ディズニーランドで買った物だという。
 こんなに美味しいなら、英国人が紅茶に入れあげたのも理解できる。

 チャも、チャイも、テも、ティーも語源は同じで、支那だ。支那は古代で終わっていて、今も古代のままだ。三国志が優れているのと同時に、支那に進歩がない。支那の今は今ではなく古代のままだ。それを、こっちの今と同列に考えるのは誤解だ。
 期待に基づく誤解を拡大し、犯罪者・毛沢東を崇拝し、残虐な蛮行だった文化大革命を英雄的な国民運動ともてはやした薄ら馬鹿どもが、かつて存在した。

 高級紅茶にも色々なブランドがあるらしいが、ブランドはまとめてカルダンと呼ぶぐらい、そういうのが苦手で、結局、ニットやリプトあたりを飲む事になる。

 日東は、あの昔ながらの紫色のパッケージの紅茶をやめてしまい、味を捨ててしまった。あれが好きだったのに残念だ。
 復活させてくれないかしら。

 紅茶には、幸せになる紅茶がある。





2017年5月30日火曜日

ホント?

え、山口、鳥越したの?

昭和のSF

 前に本屋さんで、外国人が「サイエンス・フィクションはどこでしょうか?」と店員さんに聞いた。
 店員さんが「???」に陥ってしまったので、おせっかいを焼いて、
「SFの事だよ」
 と口を出した。
 店員さんの表情が明るくなり、外人を棚に案内していた。
 おせっかいのせいで、私はその場に取り残されてしまった・・・

 SFというのが「サイエンス・フィクション」のアルファベット・スープで、日本語では「空想科学小説」と訳していた。その頃、小説は空想ではなかったようだ。
 昭和の昔、未来と言えばみんな体にピッタリのピカピカ光る服を着ていた。
 それに、人工知能と言えば、大きなコンピュータが人類を支配していた。

 でも、今、人工知能はスマホに2,3個は入ってる感じで、どこかで大きなマシンが人類を監視・支配しているというのとはかなり違っている。
 藤子不二雄の作品の中で一番好きな「海の王子」は、海中にある巨大人工知能をやっつけるため、海の王子が身を捨てて特攻を敢行して終わった。小学生の時の悲しい思い出だ。
 マイクロソフトが海の中にサーバーを沈めるなんてのより数十年前に藤子不二雄はそんな作品を描いていた。

 手塚治虫が「ゼロマン」で描いた監視社会も、共産主義の生み出すものだった。手塚は日共支持者だったから、そういう意識もなく、ただ才能だけで漫画にしたんだろうけど、手塚漫画の無意識は、共産主義の崩壊を何度も描いていた。

 中央集権的なこの支配のイメージの元は、ジョージ・オーウェルだと思う。「1984」という作品だ。
 スペイン戦争に従軍し、ソビエト・ロシアに指導された共産主義者の裏切りにあったオーウェルは、共産主義の社会を、そういう未来の形で描いた。かなり本質的で正確な作品だった。「動物農場」は、同じテーマの寓話版で、レーニンもトロツキーもスターリンも同じ穴のムジナだと、ちゃんと書いていた。
 オーウェルから何十年も経って、まだ、わかっていない連中は、頭が空っぽなんじゃないかと思う。両耳にレンズをつければ望遠鏡になるかもしれない。
「1984」を、一般的な監視社会批判だと、勝手な嘘の解釈をした進歩派のデマゴーグも沢山いた。作品を読みもしない連中は、それを真に受けた。馬鹿だ。あれは、ソビエト・ロシアの全体主義を批判した作品であって、それ以外のものではない。

 幸い、ソ連は崩壊した。そして、日本は平成になった。
 昭和のSFの舞台となった時代が過ぎている。空飛ぶ円盤(UFOの事です。フライング・ソーサーの訳語です)も現れてれていないし(公式にはね。おそらく、非公式にも)、体にピッタリの服は着ていない(特殊な趣味の人もいるけどね。ああ、汚れてしまった俺!)。
 人工知能による人類の支配なんて、そういう楽しい事はきっとこれからも起きない。そこらを歩いているオッサンを支配して、どこが面白い? 何になる?

 いまだに古いイメージで、つまり、想像力が欠けているため、どこかから借りてきている代用イメージで「監視社会」だとか、「治安維持法」だとか言っている人たちの脳みそは、昭和のSFの中で安楽な惰眠を貪っているだけだ。



スタップの呪い

 小池都政って、何だか小保方を思い出す。
 ちょっと目には気が利いてて面白そうで、とっつきはいいんだけど、中身が出てこないという感じかな。

 小保方騒動の頃、狩野英孝はどうして割烹着来て「スタップ〰!」とやらなかったのか、今でも残念だ。そういうお笑いのセンスがまったくない人なんだね。

 何の話かとうと、小池都政は、このままスタップ都政になるしかなさそうだという事だ。
 おやおや・・・困ったね・・・

2017年5月28日日曜日

共謀罪反対の嘘

 中核派や革マル派、社青同、共産主義者同盟をはじめとするテロ集団、あるいは過激派、そして、その元活動家、シンパ、様々な関係者たちは、「テロ等準備罪」に反対をしている。
 かつて、それら新左翼と敵対し、ゲバ民(ゲバルト民青の略。一番強かったのが彼ららしい)を使って暴力沙汰を仕掛けていた共産党も反対している。
 今や薄ら馬鹿の代名詞となった左翼はことごとく反対しているらしい。ン? 民進党は左翼に見えるけど、そうは言わないのかな?
  テロ集団が反対するのは当たり前だが、それ以外の政党はどうして反対するのかよくわからない。もう自分たちがテロをやるような事はないとわかっているだろうし、そういう連中が出てきたら粛清するに決まってるのに、反対のための反対以外に理由はない反対をしている。
 まあ、この反対は「テロ等準備罪」、左翼の言い方をするなら「共謀罪」が、左翼にとって、自分たちの左翼性を証明する、踏み絵イシューになっているというだけの事で、中身はない。

 左翼は「テロ等準備罪」によって、日本が監視社会とやらになると主張している。元々、監視社会は旧ソ連の事で、国家権力が社会を監視する事で統制を維持強化しているのを指していた。監視社会は共産主義・社会主義と同義だったので、人はここで彼らをせせら笑う事ができる。
 でも、その前に、ここでエピソードをひとつ紹介する。

 随分前に、先輩が、その先輩の革マルの人間に突然頼まれて、引っ越しを手伝った時の話をしてくれた。
 車に荷物を積み、引越し先に向かう途中、信号で止まると、先輩の先輩さんは、身をかがめて隠れたという。革マルだったから、襲って来るのは中核派か社青同だ。そういう危険な行動に、後輩というだけで、無関係な人を巻き込む神経が左翼だ。
 先輩の先輩さんは、先輩に、
「いつもは公安警察が身辺を監視している。それが警護になって安心なんだが、革命組織の者として引っ越しの予定や引越し先を伝えるわけにいかない。引越し先もすぐにつきとめられるから、監視されて安心なんだが、それまでが怖いんだ」
 と話したという。

 これを革マル派の軟弱さの話だと誤解してはならない。中核派も社青同も同じだ。

 今、反対しているテロ集団は、すでに監視されていて、それによって守られている。何が反対だ。彼らは監視されていないと困るのだ。彼らの反対など嘘だ。八百長だ。
 彼らは、反対をしているのではなく、反対を装っているだけだ。反対している事になっていれば、格好がつくと、足りない頭で思い込んでいるのだろう。

「テロ等準備罪」の問題は、アルカイダやイスラム国集団に対応できるのかという点だ。また、かつての欧州のテロの背後には、旧ソ連の情報部が関与していたが、今の日本ならば背後で北朝鮮や支那が糸を引いているテロへの対応も大丈夫なのか。

 本来、国会ではこうした点が議論されていなければならない。
 それを、テロ集団と一緒になった左翼政党の反対運動のおかげで、無意味な法律となってしまったら、喜ぶのはイスラム・テロリストと外国の破壊工作者だけだ。

「暴対法」には反対だったし、今でも反対だが、「テロ等準備罪」には反対しない。
「個人情報保護法」も、廃止して、ビッグデータの活用を推進した方がいいと考えているが、「テロ等準備罪」には反対しない。
 いや、反対しないでは弱い。賛成しよう。
 左翼が「共謀罪」に反対しているのは、格好だけの嘘だが、こちらの賛成は本当だ。


いない方がいいけど、いるなら遠くにいてくれよ

 民進党っていいなと思うのは、ああいう人たちが色々な所に散って、隠れていられると面倒な気がするからだ。固まっていてくれると、無視するのが簡単になる。
 反原発(今は、脱原発というのかな?)派も固まっていてくれた方が楽だ。やはりまとめて無視できるからだ。
 反原発とか、沖縄とか、テロ当準備罪反対とか・・・何だかみんな同じ人たちがやっている感じだけれど、突っ込みを入れるのも馬鹿馬鹿しいから無視する事にしている。時々、あの人たちの発信を目にすると、デマ、風評、歪曲、思い込みといった、あまりにも水準の低い言説を振りまいているので暗澹たる気持ちになる。
 本来重要で、議論を深めていい事であっても、彼らの水準が低すぎて話が出来そうもないからだ。
 それに苛立つ人は、突っ込みを入れる事になるのかもしれないが、あまりにも無駄なのでやる気にならない。
 あの人たちとは無関係に、重要と感じたり、必要と思った事は、一人で考えを深めるしかないようだ。彼らは、本質的な部分には興味がないようだし、興味を持つだけの知力もなさそうだ。
 彼らは何でも「反対」するが、その反対運動は反対ではなくて運動が主目的のようだ。つまり、勢力拡大が目的なのであって、「反対」の対象はそのための道具、チラシ広告で言えば、安売りの目玉商品だ。反原発でも、沖縄でも、あの人たちは感情を煽ろうとする。
 彼らは、危機感を煽って人々を刺激し、感情的になって錯乱したマスヒステリー状態の大衆を政治的な意図をもって、ひとつの方向に動員しようとしている。
 でも、実際は、彼らの煽りは通用しなくなっていて、運動も日々小さくなっている。惨めだ。
 あの人たちは、その進歩のなさと、進歩を邪魔しようとする行動から、「反動」そのものであり、民主主義は自分たちの事だから、人々は自分たちの命令を聞いていればいいという誇大妄想から、民主主義のみの字も理解できていない事があきらかな薄ら馬鹿どもだ。

 そういう迷惑な人たちは、遠くにいてくれた方がいいから。一箇所に固まっていてくれた方が助かる。
 それなのに、民進党は消滅しかかってたりして・・・嫌だ・・・次はファーストにとり憑くのかね・・・何てもいいから固まってておくれ。

 もう神仏に祈願しちゃってもいい。

 ウー、進歩派退散、進歩派退散・・・オンバサラ、民進固まれ、社民も固まれ、ソワカ・・・カシコミカシコミ、原発沖縄共謀忖度・・・


2017年5月27日土曜日

博士と詩人

 映画「カリガリ博士」は精神病医が患者を使って悪事を働くという物語だが、その話をするのが患者であるため、妄想か現実かわからない恐怖がある。(しかも、保存状態のせいで映像の状態が悪いのも怖い)
 チェスタトンの小説「詩人と狂人たち」も同じ着想で、詩人たる主人公は狂人たちを操る者と戦う。

 これは「洗脳」に結びついて行った。ただ狂人を利用するのではなく、意図的に狂わせてしまおうと言うわけだ。しかも、目的を定め、そこに向かって狂わせようというのである。
「洗脳」は、ソビエト・ロシアでレーニンがパブロフ博士に研究を命じて始まった。パブロフというのは、犬を使った実験で「条件反射」を研究した、あのパブロフだ。
 第一次大戦後から第二次大戦までの期間、精神医学はレーニンとは別個に、洗脳に結びつく領域に脚を踏み込んでいたようだ。後々、戦争でアメリカに亡命した研究者が、アメリカ軍に協力してアメリカの洗脳研究に関与して行く。
 アメリカで洗脳研究が始まるのは、朝鮮戦争で中国軍の捕虜になった国連軍兵士たちが虐待され、洗脳されたのがきっかけだった。捕虜となった兵士たちの「洗脳解除」が必要になったのである。「洗脳解除」というのは、治療に他ならない。これがPTSD治療につながって行く。
 朝鮮戦争の前には、ソビエト・ロシアが日本兵捕虜を虐待し、洗脳した上で帰国させた。それが戦後日本の武装共産党騒動になった。トラック部隊や山村工作隊は、洗脳の産物だったと考えられる。

 アメリカが治療から踏み込んで行くのは情報機関や軍隊が研究を始めたためだ。大学や研究機関が予算を得て、人体実験をやった。
 英国もこの研究に参加するが、情報が出なかったため、ほとんどの事がわからないままになっている。ソビエトや中国共産党の洗脳研究も、ほぼ何もわからない。

「洗脳」という言葉は、中ソの共産主義者がやった事を指す言葉で、英米は「行動コントロール」という名称で研究を行った。
 アメリカでは、この研究から出たノウハウが新興宗教や自己啓発セミナーに流れた。日本の地獄の特訓などの自己啓発セミナーも同じだ。日本の自己啓発セミナーは朝鮮戦争の頃に米軍で働いていた日本人などが、米軍のセミナーに触れたところから始まったらしい。

 カリガリ博士は多くの子を持った。彼の子孫は、おびただしい失敗を重ね、死屍累々の道を歩んだ。でも、もしかしたら、どこかで成果が出ているの可能性もある。研究が続いている可能性を示しているかもしれない小さな出来事が、時々ある。 

 医師や研究者とは別に、宗教家も洗脳と近い所にいる。オウム真理教は洗脳研究に血道を上げていたが、あいつらだけではない。洗脳の意識すらなく、若者を洗脳し、悪事に駆り立てている者がいる。
 そう、イスラム国集団(ISIL)は、若者の不満や不安を煽り、思考力を破壊し、自爆テロという犯罪に駆り立てている。あのグループの中枢は凶悪で悪辣な犯罪者であり、死刑のある場所で裁かれるべき者たちだが、末端は医療が対応すべき患者かもしれない。

 この話の始めに戻るとすれば、カリガリ博士やカリガリ教祖はもういるのだから、次に必要なのは詩人だ。現在の詩人は、爆弾を落とし、ドローンを飛ばす。馬鹿げた言い回しをひねるよりも、その方が詩である場合がある。
 


2017年5月26日金曜日

原始人とゾンビ

 ゾンビでロッキー・エリクソンを思い出した。
「昨夜ゾンビと歩いたんだ」という曲をやっている。歌詞はそれだけで、ほぼ馬鹿丸出しなのだが、見た目はとても馬鹿丸出しで、大好きだ。
 ロックの歴史に残る歌手で、13階のエレベータというバンドをやっていた。そのバンドは、耳障りの悪い、妙な音のする「楽器」(あんなものを楽器と呼べるならばという、かなり難しい前提を必要とするが)を必ず入れる事で、おそらくコマーシャリズムに反抗を表現していたのだろう(でなければ、まったくの馬鹿か、時流におもねた気取り屋だったか)と思うが、そういう音楽をやっていた。サイケデリックの始祖鳥のひとつという評価が出来るかもしれない。
 エリクソンは見た目の悪いサエない爺さんで、格好も良くないが、妙に元気なロックをやる。聞いていて、こんなんでもいいな、楽しいなと感じさせてくれる。
 始祖鳥というより、原点と言うべきかもしれない、そして、原点から動いた事がない。原点そのままだったら、原始人とも言えるだろう。サイケデリック・ロックの原始人だ。素晴らしい。
 おそらく麻薬漬けの人生だと思うが、生きているようだから丈夫なはずだ。末永く馬鹿ロックをやってもらいたい。手放しで応援している。

2017年5月25日木曜日

歩く美魔女

 美魔女と言う言葉がある。美容・ファッションのお得意様の婆さんたちを指す言葉だ。

 美容関係で、あの婆さんたちに使われるのは、豚の胎盤とか、カタツムリの粘液とか、そういうシロモノだ。初めて知った時にはおどろおどろしいものだと感じた。

 でも、魔女だったら、婆さんがヒキガエルだ蛇だの、おどろおどろしいものを鍋で煮るのはあたりまえだ。
 美魔女も婆さんなのだし、おどろおどろしいものとの違和感もない。そうすると・・・そうか、顔が鍋なのか!

 美魔女は、鍋の代わりに顔で凄いものを似る婆さんたちなんだ・・・

 ブードゥー教には、人をゾンビにしてしまうゾンビ・パウダーという粉があるけど、美魔女なら化粧で使う粉で対抗できる。
 ゾンビ対婆ァ・・・うーん、ゾンビごときに勝てるだろうか? ウォーキング・婆ァ・・・土日になると、丈夫そうなのが、その辺を集団で歩いている。

 やっぱ婆ァって、怖ええよな。

 

コミュニケーション・スキル・ブレイクダウン

 知っている事でも知らないと言った方がコミュニケーションは上手く行くそうだ。
 ふうん、そうやって嘘言って、相手をいい気持ちにさせたりして、スキを突くんだね。で、相手を操作しようというわけだ。
 コミュニケーション力とか、コミュニケーション術と言われるものって、相手から情報を引き出したり、こっちの売りたい物を買わせるにはどうすればいいかってだけの話だよね。

 で、そのコミュニケーション・スキルとやらを身に着けた人同士が話すと、
「知らない」
「そうですか、私の方が知らない」
「はい、私の方がもっと知らない」
「私の方がもっともっと知らない」
「私の方がもっともっともっと知らない」
という会話になる。人数が増えても同じだが、ちゃんと数えておかないと、自分の時に何回「もっと」を言わなければならないかわからなくなる。

 腹黒いのを隠しながらおためごかしの嘘を言い合って、中身のない関係の作る・・・アレ? いままでと変わらないような気もするぞ・・・違うのは、下の者が上の人間にゴマすってやってた事を、上も下もなくみんなしてやるって所なのかな?

 ここで面倒くさがって、
「あ、それはわかってる」
とか言ってしまうヤツがいると、「もっと」の回数がリセットされてしまうので混乱する。
 でも、気を取り直して、
「そうなんですか、凄いですね」
と、コミュニケーション・スキルを発揮するのだが、
「いや。凄くない。知ってても意味ない」
 取り付く島もない態度をとり、興味を失った顔で離れて行く。

 こうして、コミュニケーション・スキルのない人は去り、その場は、再びコミュニケーション・スキルに満ちた人たちだけの楽園になる。安心して「もっと」を数えられる。こうなったら「もっと」を通貨として採用してもいいかもしれない。ブロックチェーンを使えば「ビット・もっと」なんて弁当屋みたいな名前だが、デジタル化もできる。

 ぶっきらぼうで、面倒くさがりで、正直な人がいかに迷惑な存在か、これでわかる。
 偉そうにしたいだけの爺ィなんてのはまったくのカモだという事もよくわかる。

 つまり、コミュニケーション・スキルというのは、粗製乱造で内容のないベビーブーマー世代を転がしてカモにするための接客ノウハウなのかもしれない。

 本当に人と気持ちを通わせてつきあいたいなら、無駄で無意味な時間を沢山使うしかない。そこでは効率といった市場で求められる価値がまったく機能しない。私的領域という事だ。私的領域と社会的領域の区別がつかない混乱は失敗に結びつく。

 コミュニケーション・スキルのない人は、ある人とは付き合わない方がいい中身がないからだ。
 コミュニケーション・スキルのある人も、ある人と付き合わない方がいい。「もっと」の数を数える以外にやる事がないからだ。

 コミュニケーション・スキルのない人は、孤独になり、寂しく老いさらばえ死んで行く。
 コミュニケーション・スキルのある人も、孤独になり、寂しく老いさらばえ死んでゆく。

 老いというのは、孤独で寂しく、しかも、もうすぐ死ぬものだからだ。

チャーリー・ブラウン、俺を許してくれ!

 故チャールズ・シュルツの漫画シリーズ「ピーナツ・ブックス」(シュルツはこのタイトルを嫌っていたという。よくある話)は、少年時代に女の子にうんざりさせられた事があれば、つまり、男の子だったらほとんど誰でも理解し、共感できる作品だ。
 登場するどの女の子も凄い。
 でも、現実の男の子は、そんな話には飽きるし、戦って悪いヤツをやっつける話の方が好きなので、あまりピーナッツを読まないかもしれない。
 だから、この漫画の読者像としてあるべきなのは、少数の男が、苦い思いを噛み殺しながら読む姿のはずだ。
 しかし、世の中には、そんなひ弱で繊細な男ばかりで出来ているのではない。恐るべきことに女がいる。

「スヌーピー、可愛い〰い〰」

とか吠えながら突進し、シュルツの作った世界を踏み潰し、破壊しつくしてやまない存在だ。
 あの、影のある屈折した世界など、まったく理解できないのだ。動物の絵を見れば、条件反射で「可愛い」と感じる。あるいは、本当は感じていなくても、そう言う。
 それを別の言い方で表現すると鈍感という言葉になるのだが、鈍感で、理解力に乏しいのは多数派だ。
 だから、可哀想に、スヌーピーは可愛いくされてしまう。そんな事をするなんて、無神経の見本として表彰してもいいぐらいだ。

 ピーナツの登場キャラクターの商品化は、ひとつの表現世界の蹂躙と破壊に他ならない。

 でも、子供がそれを欲しいと言えば、黙って負け、ぬいぐるみを売っている店に行く。
 そして、買う前に正式ライセンスかを確かめたりもする。

 チャーリー、このどうしようもない大衆を許してくれ!
 
 

 
 
 

2017年5月24日水曜日

ワイマールの教訓

 第一次大戦後、ドイツでワイーマール憲法が成立した。当時としては開明的で進歩的な内容の憲法とされているが、結果としてはナチス・ドイツの第三帝国を生み出した。

 良くしようと思い、良くしようとした結果、悪くなってしまった。
 ワイマールから引き出せる教訓はこれだ。
 実際、これは良くある話だ。悪くなるとまでは行かなくても、結果が思わしくないという程度なら、ほとんどの行為の帰結にあてはまる。人の意図は現実に移されると、ほぼこういう末路をたどる。 

 良くしようとしたのだから、良くなるとなどと期待してはいけない。
 良い意図と良い結果、悪い意図と悪い結果が対にはなっていない。どのように結びつくかまったくわからないものだ。
 ただ、時として、何かの間違いなのか、いい結果が出る事があるかもしれない。
 ローリング・ストーンズなら 'You can't always get what you want' と歌うところだ。

 人の行為は、理想と較べて何割ぐらい達成できたかを考えるものだ。半分ぐらいだったら大成功という時もあるだろうし、6割で良しとするという場合もあるだろう。本当は、もっと低いところで妥協しているかもしれない。
 でも、それでいいんだ。そう見れば、良くしようとして、良くなったと言える。それは大事な事だ。
 どんぱん節でも「なかなか思うようにゃ、いかねもんだ〰」と歌っている。
 教訓には従った方がいい時がある。
 
 

2017年5月22日月曜日

路上煙草は迷惑です

 店や建物の中での喫煙は、そこでのルールでやればいい。困るのは、建物が禁煙だからと、道で煙草を吸われる事だ。通りかかると道に煙が漂っている事がある。歩道はそんなに広くないんだよね。臭いし、気持ち悪い。
 煙草をくわえ、携帯を片手に持って自転車に乗っている人がいたりするが、携帯中毒者、喫煙者、自転車に乗る人って、意識の低い人が多いかもしれない。(この場合、みんながみんななどと言わない事がミソ)

 喫煙でガンになるリスクが高まる事について、例外を1つか2つ出しても意味がないのはあたりまえで、どこのおじいさんが煙草を吸ってても長生きしてるなんてエピソードは、喫煙のリスクをまったく下げない。
 煙草を吸うとその場で死ぬというなら、話は簡単で、出来るだけ邪魔にならない場所で死ねばいい。でも、非可逆的な害が少しずつ喫煙者と、そして、受動喫煙者の体を蝕むのだから、事は面倒になる。

 原子力発電は安全だが、煙草は危険だ。

 大げさに言えば、これが現在の人類の文明の安全に対する認識だ。

2017年5月21日日曜日

間抜けと希望

 女性と一緒にいると自分が間抜けに思えてしかたがない。
 理由のひとつは、私が間抜けだからなのは間違いないが、いつもより間抜けに思えてしかたがない。
 その理由として考えられるのは、

1.女性といる時には、良く見られたいのにうまく行かず、絶望的な気持ちになるため、自分が間抜けに見えてしかたがない。

2.本当は、女性といる時の方が本当の自分の間抜けさが出ているのだが、男同士だと、みんな間抜けなので感じ方が薄まるというか、緩和される。

3.両方。

4.本当の自分の間抜けさは、まだ自覚できていない。本当はもっともっと間抜けだ。

 なんてところだろうか。どれひとつとして面白い話はない。先に行こう。
 対処法として考えられるのは、
1.間抜けじゃなくなる。

2.女性に良く見られようと思わない事にする。

3.人間関係を男のつきあいに限定する。

 なんてところだろうか、そして、

 1は、理性的に考えて不可能なので、合理的選択として取り組まない事にする。
 2は、こっちは現実として、女性はまったく良く見てくれないので、後は自分の意識がそれを受け入れて前に進むかどうかだけだ。12段階を経る必要があるかもしれない。
 3は、これもすでにそうなっているので選択の問題ではない。

 つまり、何もせず、このまま人生を終わればいいだけだ。
 このようにして、問題は何も解決せず、何も改善されず、無駄に時間を費やすだけなのが生きるという事なのかもしれない。
 この結論は人間にとって、唯一かもしれない希望だと思うのだが、そう感じられない人もいるかもしれない。
 そういう人は、

1.珍しく間抜けではない。

2.自分の間抜けを自覚出来ていない。

 の、どちらかで、

 1の方の人については何も言うべき立場にない。
 2の方の人は最終的には仲間だから、そのうち希望を持ってもらえるだろう。

 もちろんこの話、どこか間が抜けているに決まっているのだが、残念ながらそれがわかるようなら間抜けではない事になるので、この話はこのまま、つまり、不完全なまま終わる。






2017年5月20日土曜日

本気なんて出さない方がいいんだろうね

 核武装し、物騒な実験を繰り返す隣国北朝鮮から国民を守る方法は、避難のしかたを考える事ではなくて、先制攻撃をして相手を無力化する以外にないんだけどな・・・
 良くてミサイル攻撃、悪くすれば核攻撃や毒ガス攻撃まで考えられるのに、政府にも、政治家にも、本気で考えてる人はいなさそうだ。
 そんな風にアテにならないから、子供を産む人も減るのかもしれない・・・

 しかるべき人が本気を出さないで、小さくお茶を濁しているのは、その方がいいからなんだろうね。

心のかけらと天城越え

 ジャニス・ジョプリンが歌った中でも代表曲のひとつという扱いなのが邦題「心のかけら」(Piece of My Heart) らしい。
 元々はアレサ・フランクシンのお姉さんの、エルマ・フランクリンが歌った曲で、これも素晴らしい歌唱だ。
 アメリカの女性歌手はこの曲が好きで、色々な人が歌っている。日本だと「天城越え」みたいな感じで女性のハートをキックしているみたいで、色々な女性歌手が熱唱している。
 男だと、エアロスミスのスティーブン・タイラーが歌っているが、バックにたむろしているコーラス隊と思われる女性たちが、タイラーそっちのけで歌っていたりする。

往年の大女優が集まって、「天城越え」を歌う会を開催しているという話を聞いて、

〰何があっても、もういいの♪

 と歌われても、もう何もありませんから、安心なさってくださいと、落ち着いていただきたくなるが、あまりの迫力に声が出ない・・・みたいな、背筋の寒くなる思いをした。

 バックバンドがあまり好みではないので、ジャニス・ジョプリンは時々しか聞かないが、今の整った演奏でジャニスの歌というのも厳しいかもしれない。キャロル・トンプソンのロック・ステディ風の演奏にのせた歌を聞くと、両者の違いにひたすら戸惑ってしまう。

ジャニスの音源から歌を抜き出して、バックを録音し直すなんて気味の悪い事をする人がいないのは、あの演奏と歌の結びつきは、もうどうしようもないからかもしれない。だとしたら、それがあの演奏で最も評価すべき点のような気がする。


2017年5月19日金曜日

親分たちの近世と近代

 時代劇が好きなのだけれど、テレビ・ドラマが作られなくなったのでつまらない。時代劇を演れる役者がいなくなってしまったのかもしれない。嵐の松潤で「ご存知からす堂」でもやってくれないかなと、ゴホッゴホッ・・・すっかり年寄りになりきって思う・・・
 時代劇に岡っ引きが出て来るが、岡っ引きを「親分」と呼ぶ。どうしてかというと、親分が岡っ引きになるからだ。岡っ引きになると、自動的に親分と呼ばれるわけではない。親分だから子分もいる。捜査活動に人手は不可欠だから、親分子分セットの方が都合がいい。
 ここから「二足のわらじ」という言葉が出た。時代劇では、裏で賭場をやっていたり、ヤクザだったりする岡っ引きを悪者として表現する時に言う言葉だが、これは話が逆で、本当はヤクザと言えばみんなヤクザで、親分を岡っ引きにしたのだから、岡っ引きは地元の顔役とか、ヤクザとか、建築土木の組を構えているとか、そういう人たちだった。
 岡っ引き=親分は、縄張りを持っていた。縄張りが親分を持っていたと言ってもいい。さほど広くもない町を、親分が仕切っていた。町内を親分や子分が回って、病人や一人暮らしの年寄りに声をかけたりもしていた。御用聞きというのがこれだ。
 親分は、治安維持と福利厚生を担っていたわけだ。縄張りは、つまり、秩序維持の基盤だった。
 十手を預かると言っても、給金がついて来るわけではない。まったくの奉仕なのだが、縄張りが平和に保たれ、福利厚生もしっかりして、親分の評判がいいという事になると、本業が安定したと思う。賭場にいい客がつくとか、大きな仕事を受注するとか、そういう見返りがあっただろう。
 評判の悪い親分の賭場に、いい客が来るはずもなく、大事な仕事を頼もうと思う人はいない。
 アコギな高利貸の手先になって、病人の寝ている布団をはがして行くような真似をしていたら、相手にされなくなってしまう。縄張りをまたぐ捜査活動でも、他の親分に嫌われているのと、あいつは男だと思われているのとでは雲泥の差がつくに決まっている。
 親分たちは、出入りの寺の寺格などによって、暗黙の格付けがあった。吉原の花魁が足抜けし、三ノ輪に逃げるという出来事があったという。吉原から三ノ輪まで、散歩で歩いてしまう距離だ。
 こんなに近い距離なのに逃げ切ったというので、最初はどうしてかわからなかった。でも、縄張りと親分の力関係を考えてみれば、あたりまえの事だとわかった。花魁は、これを考えて逃亡に踏み切ったのだ。
 水戸街道につながる道、今で言う昭和通りが縄張りの境界線だったと思う。投込寺が通り沿いにある。投げ込み寺までが吉原の範囲と考えていい。
 足抜けされた方は、しかし、縄張りを超えて追うわけにはいかない。三ノ輪あたりの親分と話をつけてでなければ、人の縄張りに踏み込む事になる。しかも、親分の格としては、どうも吉原は下だったようだ。
「無情な真似もできねえな」
 とか言われたら、それで終わりだった。
 昭和通りの外側、今の荒川区に重なる地域は、東北に向かう、江戸の最も外側の防衛戦だった。仙台藩伊達家は、徳川家にとって北の大国として警戒しなければならない相手だった。
 神田川は仙台堀とも言うが、これは徳川が伊達家に作らせた堀だったからだ。徳川は、伊達家の戦費を削るために大規模工事をさせた。
 これに対する防衛線として、徳川は三河からつき従い、江戸建設に従事した土木業者を住まわせた。三河島というのは、三河にちなんだ名称だという。
 この土木業門右衛門は苗字帯刀を許され、松本を名乗ったという。
 松本門右衛門も、代々親分で、町内の世話役として苦労したという。

 親分たちは、犯人逮捕のためには逮捕術などを身に着けねばならなかっただろう。江戸時代、百姓町人たちも剣術をやる者は多かった。町道場というのは、この層に剣術を教えていた。幕末の新撰組はこういう場で剣術を身に着けた人たちだった。

 明治維新後、維新政府は、岡っ引きという秩序維持制度を継承せず、新たに警察を設置した。とりわけ江戸=東京といった、大都市要所には薩長の人材を導入した。
 親分たちは、わらじの一足を脱ぎ捨てた人もいれば、警察官になった者もいた。
 松本門右衛門は彰義隊に駆り出されてバリケード作りなどをし、結局逃亡しなければならない身の上となったという。

 親分たちは、土木、建築、港湾労働、運輸、炭鉱など、様々な仕事をしながら近代に対処し、様々な道に別れて行く。そして、自由民権運動や困民党運動に入って行く親分たちも多かった。
 この親分たちの縁の下の支えがなければ、民権運動が地に足をつける事はなかっただろう。武士崩れの壮士たちの大言壮語と仕込み杖だけで出来る事などなかった。彼らの話を聞き、人を組織し、金を工面し、場合によっては逃亡を助けたり、白刃をきらめかせたのは彼らだった。
 無闇な西洋かぶれが薩長国権派から派生した際に、目に余るとして国粋主義が出て来た。国権派と対峙したのだから、国粋主義は自由民権運動の思想だった。自由党が全国の親分たちを糾合した時に、これを国粋会としたのは自然な事だった。

追記: ご指摘をいただき、以下の記事で訂正をいたしました。

    訂正
 

2017年5月18日木曜日

三河島の地名について

親分たちの近世と近代」について、ご指摘をいただきました。
三河島の地名の由来についてです。

荒川102」というサイトにある、

三河島の歴史


という記事の「地名の由来と三河島菜」にあるように、三河島の地名の由来が、

「徳川家康が三河から連れてきた家臣が住んだから」

とは言えないようです。

訂正いたします。

助かります。ありがとうございました。


カーペンターズ  カレンのハードロック

 カーペンターズを聞く。

 カレンは、あの素晴らしい歌唱力のせいで好きなハードロックをやらせてもらえず、本当はアリス・クーパーみたいなのがやりたかったかもしれないのに(違うだろうけど)、スクールズ・アウトではなく(だから、違うだろうけど)、スーパースターを歌うしかなかった。
 彼女にとって、音楽は自由などではなかった。そして、拒食症になり、自死と言っていい死への道を突き進んだ。
 もっと無神経だったら生き延びる事が出来ただろう。そうしておばちゃんになれば、みんなをうんざりさせたり、ガラガラ声になったり、人が止めるのなど耳に入らないほど身勝手になり、無駄に押しが強くなり(違うだろうけど)、やりたければ、ハードロックなどいくらでも出来ただろうにと思う。

 生きてて、そっちの方に行けば、メタルの可能性もあった。デスだってやったかもしれない。スラッシュ、いや、グラインド・コア(実はこの辺、まったく区別がつかないけど)・・・ジャンバラヤのメタルなんて、凄い事は凄いだろうな・・・

 だから、飯は食わなきゃいけないし、嫌でも何でも生きてた方がいい。

 カレンは死ななきゃ、カーペンターズを辞められなかったのだろうか・・・? 

2017年5月17日水曜日

高浜原発が再稼働した。
良かった。

稼働可能なすべての原発の早期再稼働を

Crossing Muddy Waters

 ジョン・ハイアットの「クロッシング・マディー・ウォーター」をよく聞く。いいな、渋い声だな、男の歌だなとか、浸りきって聞く。

 最初にこの曲を聞いたのは、アオイフェ・オドノバン、サラ・ジャロスツ、サラ・ワトキンスの3人の歌だった。
 アオイフェ嬢、2人のサラ嬢(スペルは違う)、3人の歌姫たちはそれぞれソロの活動をしている。3人でもソロでも、どちらも素晴らしい。

 フォーク・ブルースやブルーグラス、フォークソングやケイジャン音楽、カントリー・・・アメリカでは伝統音楽というのだろうか、今でも若い人たちがいい音楽を作っている。伝統に則りながら、先進的な音を作っている人たちもいる。
 アオイフェ嬢たちも、ちゃんと自分の音楽をやっているようで嬉しい。みんな質の高い音楽を作っている。

 1960年代の終わり頃から、ロックの中で、ルーツに遡る傾向がひとつのメイン・ストリームになった。この傾向がワールド・ミュージックまで派生して行くんだと思うけれど、だいたい、ピーター・バラカンさんが好んでいるあたりが、その傾向かなと感じている。見当外れかもしれない。

 今になってみると、ロックは年寄りだけが頑張ってて、若い人が出てこない感じがある。ちゃんと追いかけているわけじゃないから断定はできないけど、本当のところどうなのだろうか?

 ビートルズが解散して穴の開いた市場を狙って、みんな大活躍したおかげで、ロック市場は大きなものになったけど、それも消えてしまった。ベビーブーマーがくたびれてしまったからだろうか。乱痴気騒ぎがもう終わったというなら、良かったかもしれない。
 市場に振り回されて色んなものが方向を失ってたけど、本来ある所に戻り、向かうべき所に向かうしかないのだろう。

 クロッシング・マディー・ウォーターだね。馬鹿げた泥水を渡ってね。
 
 
 

2017年5月16日火曜日

in to the dark

 メリッサ・エスリッジの「イン・トゥー・ザ・ダーク」をかけて、サビの所を一緒に口ずさみながら、エスリッジ、何かカッコイイと気持ち良くしてます。
 この曲、スティーブン・キングの「コロラド・キッド」が原作の「ヘイブン」というドラマの中で使われていたのが気に入りました。
「コロラド・キッド」は読んでないけど、「ヘイブン」は面白い。キングもとても力のある作家だけど、ドラマを作っている人、これも力がある。
 早く残りのシーズンをやってくれないかな。待ってるよ〰ォォォ・・・

2017年5月13日土曜日

何だかほっこりな夜

BDA 3 (こんな本、何だかわかる必要のある人はすでに知ってるし、わからない人にはまったく縁がないから説明しません)を読みながら猫をかまってたら、膝の上に乗ってきて、ナデナデしているうちに、すっかり フルホッコ

うーん、寝る事にしよう。

2017年5月11日木曜日

若きウェルテルはその後、まったく悩まなくなった

 昔、「若きウェルテルの悩み」を読んで憂鬱になってしまう若者が出てきたのを憂慮した人が、自ら筆を執り、続編を書いてしまったという。
 ウェルテルが結婚し、勤勉に仕事をするという筋書きらしい。むろん悩んだりはしないと推測する。
 昔の人は偉い。今、漫画やビデオに文句言う人たちで、ただの一人も続編を制作して倫理を問う人などいない。言いっぱなしだ。
 非倫理的な漫画の主人公が何とか母の会に賛同したり、新日本婦人の会に賛同したり、夫人民主新聞を購読したりして、真人間になり、慎ましく生きて行くなどという続編・・・ガツンとおばちゃんになり、野菜買っている場面で終わったりすると感動する人がいるかも。
 そういう神続編で世を啓蒙しようという事はなくて、こういう表現は禁止しろと騒ぐだけだ。

「若きウェルテルの悩み」の続編の話は、ハイネが散文で書いている。ハイネはかなり辛辣な散文の書き手で面白い。
 でも、今は絶版になっていて、再販もおそらくされないから、古本か図書館で読むしかないだろう。すぐに書名も出て来ないのは、昼なお暗い部屋の奥地に行ってしまっているからだ。
 今度、探し出して、それについて書いてみようと思う。

2017年5月10日水曜日

システムとしての早野凡平

ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のオーケストラは、費用の関係で、半分だけ雇い、半分ずつ録音されたそうだ。
それを知って、これは日本の著名なハイエンド・アーティスト早野凡平と同じだと思った。
あの有名な早野凡平の帽子作品だ、そう、ナポレオンや忍者のアレだ。海パンが「ア・デイ・インザ・ライフ」と同じだ。
これでわかる人はいいとして、わからない人もそのままでいい。
私は親切じゃない時もあるというだけの事で、つまり、話も半分だけにしておく。

2017年5月9日火曜日

昨日の補足

 一つ前の投稿は書きながら眠くなってしまったので面倒臭いものになったかもしれない。
 共産主義=マルクス主義は革命の寄生虫で、ロシア革命を食い物にしたが、その結果、宿主を殺してしまい、ついに寄生する事が出来なくなってしまったので崩壊してしまった。もう、マルクス主義に革命を期待するのも、恐れるのも根拠がないという話です。はい。


 

2017年5月8日月曜日

錯誤と停滞

 ロシア革命はケレンスキーが最終的に率いる事となった勢力が長年の苦闘の末にこぎつけた成果だった。多数派を名乗った少数派(つまりボルシェビキ)は列車強盗といった犯罪をやっていただけだった。
 その少数派の頭目レーニンは職業売国奴で、誰にでもロシアを売り、金にしようとした。それで日露戦争の時、日本はレーニンに金をくれてやった。
 革命が起きると、レーニンは反革命を宣言し、ドイツから資金をもらってロシア入りした。ドイツは第一次大戦でフランスとロシアを相手に二面作戦を展開しており、ロシアに手を引かせ、西部戦線に専念したかったのだ。
 ロシアに乗り込んだレーニンは、与太者を金で雇い、サンクトペテルブルクを拠点に革命派に襲いかかった。この暴力革命は成功し、ボルシェビキ派はロシア革命の横取りに成功した。
 レーニンはドイツのために「反戦」を唱えて戦争から手を引き、ドイツは西部戦線に集中した。

 ロシア共産党(ボルシェビキ)はこうして政権を取った。その後に続く惨状は気持ちが暗くなるので割愛する。興味のある方は「共産主義黒書」などをどうぞ。

 ロシア共産党は各国の共産党を指導する事となった。ロシア方式という成功体験が金科玉条とされた。

 スペインではアナーキストが主導した勢力が政権を取ったが、フランコ将軍が自軍を率いて内乱を開始した。共産党は権力を奪うためにアナーキストに襲いかかり、みんな死刑にしてしまった。戦線はズタズタになり、フランコは勝利した。共産党が勝利したら、スペイン人は情熱的にスペインをキリングフィールドにしただろうから、それよりはフランコの方が良かった可能性が高い。
 ともかく、スペインでは共産党による横取りは失敗した。

 支那では、国民党が清を倒し、漢民族の国家を樹立したが、紆余曲折があり、中共が日本軍を戦争に引きずり込む謀略もあり、日本軍も好戦的だったので日中戦争となってしまった。
 共産軍は弱体で逃げてばかりいたが、蒋介石は馬鹿だったのか、国共合作で共産党と共同戦線を張ってしまった。しかし、日本軍と戦うのは国民党ばかりで、共産党は国民党軍を後ろから攻撃していた。結局、国共合作は破綻するが、蒋介石は何を考えていたのか、二度も同じ轍を踏んだ。
 アメリカがうかうかしていた事や、共産主義勢力がアメリカに浸透していた事など、色々あったのだろう、ロシアを背景にした共産党軍は、大戦後、国共内戦で勝利してしまい、支那を支配する事となった。
 清の打倒には無関係で、日本軍とも戦わずにいた毛沢東の中共だが、支那の横取りには成功した。

 共産主義者は「革命」などと口にするが、それは自己申告にすぎない。マルクス主義はただの一度も自力で革命に成功した試しはない。だから、共産主義革命を恐れる人はまったくの過大評価をしているだけだ。彼らは、人が成し遂げようとしている革命を横取りし、薄汚く貶めるだけだ。
 もし革命を恐れるなら、理想を持ち、地道に努力し、人望がある、本当の(つまり、共産主義者ではない)革命家を恐れるべきだ。
 でも、本当はそんな必要もない。ロシア革命によって共産党が革命の家元となってしまったため、本物の革命家は共産党によって異端とされ、排除されるのでいなくなってしまった。
 共産党は、こうして横取りが出来なくなった。
 ロシアを始めとして共産党が権力を取った国々は不幸にしかならなかったし、経済的に行き詰ってしまい、崩壊して行った。
 支那はアメリカのおかげで中共は崩壊せず、一党独裁を続けているが、漏れ伝わる内容が悪すぎて、とても評価は出来ない状態のようだ。

 マルクス主義は失敗した。革命思想として、横取りは出来るが、革命は出来ないのだから無価値だ。これはレーニンが悪いのだと言いたがる人がいるかもしれないが、レーニンがいなければロシア革命すらなかっただろう。
 社会建設の理論としても、現実を見ればはっきりと無残な失敗しかない。
 ロシア人が馬鹿ばかりそろっていたから、マルクス思想が理解できなかったと言いたい人がいるかもしれないが、無根拠の見本になるからよした方がいい。

 マルクス主義は馬鹿馬鹿しいから、もう省みる必要がない。まったく気にしなくていい。私たちの歴史がやっとの思いでその現実認識にたどり着いたのがつい最近だ。
 この事の意味をきちんと整理した人はいない。ある人は苦い思いで、別の人は安堵して、その時をやり過ごしただけだ。だから、何かあると、ズルズルと過去に戻ってしまう人々が出て来る。
 ショックから立ち直れないのだろう。古い言い方をすれば「革命ボケ」だ。「進歩ボケ」でもあるかもしれない。「革命」や「進歩」だと思っていたものが、まったくの偽物だった事をどこにも持っていけなくなっているのだ。 
 つまり、そんなのを信奉して「知識人」のつもりでいたら、全くの馬鹿だった事を処理しきれなくなってしまったのだ。ま、廃人だわな。
 20世紀という、それ以前と比べると格段につまらない時代の錯誤を整理し、つまらない時代であっても、取り柄はあるという事を取り出す人はそのうち出て来るだろう。通り一遍の頭では出来ない事だから大変だろうが、いつまでもここが止まっているのは良くない。
 そう、停滞は良くない。



 

2017年5月6日土曜日

安全と安心

ちょっと「安心」を考えてみた。
「安全」はいくつかの条件を置いた上での確率の話で、100%なんて事はありえない。100%じゃなきゃだめだという人がいたら、話がわからないだけだから、無視できれば無視し、できないならその案件はなくなる。
自動車は整備がきちんとできていて、運転者が速度を出しすぎないようにし、集中力を維持して・・・といったいくつかの条件を満たせば、かなり高い確率で安全だけれども、100%という事はない。
でも、100%安全でなければ、自動車を走らせてはいけないというなら、そこでは自動車は走らせられない。それだけの話だ。そこで100%を約束させられてはいけない。嘘になるからだ。
自転車だって、その意味では安全ではない。歩きよりも安全確率はかなり低い。乗っている人の意識のばらつきの大きさがかなり脚を引っ張っている。
世の中、その程度の安全で動いていて、そこそこ成り立っている。もちろん、安全確率を高める努力は良いことなのだからやって行くべき事だけれども、100%安全にならなきゃ、それを認めないというのは、意識が低すぎるというしかない。
例えばひとつの技術があり、危険性も含めたリスクと、それから得られるメリットを比較して、メリットが一定以上上回れば、その技術を採用し、安全向上を含めて努力をして行くという事でいい。それを進歩という。特に現在の日本の基準で言うなら、科学技術に求められる安全性はかなり高い。
でも、もちろん、100%というありえない安全確率には達していない。
100%というのは無限と考えてもいい。数学では無限を扱う理論があるし、神学は神の無限を考えるけれども、技術は無限など扱わない。
科学技術に100%を求めるのは、神学と科学、技術と呪術を取り違えているのだ。
もっとも、一神教の神の前で人の生命など無に等しいから、宗教戦争でいくら人が死んでも神学は意にかえさないという危険性がある。かつてのカトリック対プロテスタントの戦争、十字軍、そして、現在のISISの蛮行は神学として間違っていない事になるんじゃないかと思う。そのあたり、いくら危険であっても、神は無限だから、100%を求める向きにはフィットしているはずだ。つまり、100%というのは、もう安全では対処しきれないものだ。
安全ではとりあつかわない100%をとりあつかうのは、神学とか呪術以外には、つまり、とりあえず危険じゃなさそうなのは「安心」だろう。
でも、安心はその人の心の持ちようとか、感じ方とか、そういうものだから、原則として他人が口出し出来ないし、すべきでもない領域だ。例えば行政が国民・住民に安心してもらおうとしたら、それは信頼されるしかない。で、信頼されるにはちゃんと仕事をする以外にない。でも、いくらちゃんとしてても信頼しない人がいたとして、これはどうしようもない。信頼する人が極端に少ない場合は、その行政に何か問題がある可能性もあるが、いくらちゃんとしてても信頼しない人は一定にいる。それは想定内としておくしかない。

科学技術と安心というと、東日本大震災からこっち、原子力発電の問題になるけれど、反(脱)原発派は「安心」じゃないからダメだと主張している人たちだ。
恐怖心にかられる心理はある程度理解できないでもないが、それ以上ではない。停止途中に海水をかぶって停止できない状態になった福島以外、すべてきちんと止まった。
あの地震であそこだけで、あの程度ですんだのは大したものだと感じた。実はもうちょっとダメかもしれないと疑っていたのだけれど、見直して、心の中でゴメンした。
でも、共産党とか、進歩派がここぞとばかりに反原発の旗を振り始めた。民主党(現・民進党:面倒なので、この後消滅しても訂正しないのでご了承ください)の菅直人が自分の震災への対応がなってなかったのを誤魔化そうと、原発の恐怖を煽ったもの大きな要因だった(さすが全共闘、頭の悪さ、腹の悪さは大したもんだ)。
どうやら、そこにカルト宗教やら何やら有象無象が流れ込んだ。
その理由は、無知、妄想、悪意、無神経といった禍々しいものが吹き出しているからだ。
彼らは絶対に安心しないぞと思い定めた上で、政府や東京電力に安心を強要している。そしてその事で、日本、日本国民、被災地の復興、被災地の人々を踏みにじっている。
原子力発電は安全だ(安全確率がかなり高い)。火力発電よりも安全だ。この安全は、現在の人類に文明が達成している最高度の安全だ。文明が進歩すれば、安全も高まるだろう。でも、ないものはない。
政治も世の中も感情で動く面があるから、反原発の呪術が効果を発揮し続ける可能性もある。彼らは安全を作り出す事に興味はなく、不安を煽ってるだけだから、簡単なんだよね。

最近、妙なデマが拡散された。福島で森林火災があり、放射性物質が飛び散っているとかいう話だ。で、味噌汁を飲むといいとかいう話までくっついていた。これを言い出した人、信じる人とは理解しあえないと思う。もし、反原発派の中にマシな人がいたとしたら、こういうのは止めるべきだよ。福島の人が迷惑する。

以下、福島の人が迷惑し、困って発信したツイートを引用します。



「10年間、福島に住んでみろ」キタコレ。 あと4年も非科学デマに対して黙って我慢しろだそうですよ、福島県民の皆さん。

変な世の中 @2522nakano返信先: @ichii_tadafumiさん、@demekin_desuyoさん 「デマになったとしても」と言う言葉は、謙虚な気持ちから発しているのに、言葉尻を捉えて批判する。内部被曝は危険です。放射能が危険じゃないと言うなら、福島に10年住んでから言いなさい。


謙虚な気持ち、だと? 脳味噌わいてんのか。



「デマに なったとしても」じゃない。初めからデマなんだよ。原発事故時に放出されたセシウムは植物の葉や幹にも付着したが、落葉や雨雪で殆ど下に落ちて土壌の有機物や鉱物等に吸着している。そこから植物に吸収される量だってたかが知れてる。




実際に震災以降、今回の火災の前にも森林火災は発生しているが、各地の空間線量等のデータに異常値は確認されていない。火災によって放射性物質が拡散されていないことはわかっているんだ。 初めからデマなだよ。午後0:52 · 2017年5月2日


「火災で放射能が飛んで内部被ばくが~」とか言う人は、自分の体の中に自然核種のカリウム40が存在してること、知らないのか? 火災があった後でも、普通に露地栽培された福島の農作物の放射性セシウム量に有意な変化は見られていない。

また、コープふくしまの調査では、福島県に住んでいる人達の食事にも殆ど放射性セシウムは含まれていないか、含まれていてもカリウムと比較して完全に無視出来るレベルであることがわかっている。何も対策などとる必要はない。

呼吸については、食事によるよりもケタ違いに内部被ばくが小さいことが始めから分かっている。 また、ホールボディカウンタによる調査だって、一部の特殊な食生活を送っていた人達を除いて、異常なデータは出ていない。

ホントに放射能が怖いならキチンと勉強して下さい。 福島県民は反原発や反東電や反自民のために準備された道具じゃないし、怖がって楽しむ娯楽のネタでもない。


2017年5月4日木曜日

半島情勢はこわいけど


北朝鮮が核爆弾だ、ミサイルだと、軍事独裁国家丸出しで韓国と日本に脅しをかけている。
これはおっかない事だけれど、私たちには何も出来ない。そもそも北朝鮮が戦争を始めるつもりになっているのか、始めるとしたらいつなのか・・・何もわからないのだからどうしようもない。
こういう時、普段から役に立たないマスコミは、一段と役立たずだろうから、政府が発表しない限り、情報はない。
それに対処しなければならない人以外には、何もわからないままで事態は進み、何も起きなければそのままだし、戦争になるとわかった時には、もう始まっているかもしれない。
日本には北朝鮮を止めるのは無理だし、アメリカや支那の言う事を聞くかどうかわからないし、それはロシアも同じだろうし、どうしようもない。
で、私たちは心配するにしても材料が少なくて十分な心配ができそうもない。恥ずかしいからにわか専門家にはならないようにして、しかたない、普段通り、くだらなく生活してるしかない。
あ、屁が出た・・・

石原都知事は良かったな


都知事選、かなり前になるけど、小池百合子、選挙の後、面白くなるかなと期待してたんだけど、オリンピックで何やってんのかわからなくなり、築地の豊洲移転で急激につまらなくなった。
今は都民ファーストとか言って、都知事の仕事しないで選挙対策やってる・・・おいおい。
欲が深そうで、図々しい感じもあって、抜け目もなさそうで、知り合いにはなりたくないけど、政治なんて、多かれ少なかれアクの強い人の世界だろうから別にいいかなと思ってたんだけど、仕事しないんじゃ・・・
豊洲移転を止めてるのは、「安全」と「安心」を混線させて話を複雑にしてるだけで、安全だったら都知事が安全宣言すりゃ、安心になる。それもしないんじゃ仕事してる事にならない。
政治家の中には、政治家になって仕事をするんじゃなくて、政治家になる事が仕事だと思ってる人がいる。絶滅が期待され、生存する事が困る生存危惧種だ。
仕事しないで選挙対策やってる選挙ファーストじゃ、小池百合子も生存危惧種だったかもしれない。ファーストに集まってるのも、ミンシン崩れじゃ、生存危惧種感は高まる。
小池の面白さってのは、結局毒々しさだったんだなと思う。化け物が毒を撒き散らすのを見て、面白いには面白かったけど、ちょっと木戸銭が高すぎた。
引き際を知らないし、柔軟性にも欠けてる。とりあえず何年か、黙って仕事をしておく知恵がなかったというのは、自分で思ってるほど頭が良くないという事だね。
自民党が弱すぎたし、選挙のセンスもなかったからここまで来たけど、これからどうなるかね。自民党の世代交代の促進剤で終わってくれれば都民には一番いいかも。

2012年11月4日日曜日

米兵とやくざ 沖縄


 11月2日、沖縄で米兵が民家に侵入し、傷害事件を起こした。
  事のなりゆきは以下に引用した読売新聞の記事にあるもののようだ。

 少年殴打の米兵「帰りなさい」に逆上、暴れ出す(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121103-OYT1T00925.htm?from=main7)

 沖縄県読谷(よみたん)村で2日未明、米空軍兵(24)が住居に侵入、少年を殴ったとされる事件で、空軍兵は直前まで酒を飲んでいた居酒屋の店主から「外出禁止の時間だからもう帰りなさい」と注意されて逆上し、暴れ出したことが関係者への取材でわかった。
 米軍は、10月19日に日本滞在の全米軍人に夜間外出禁止令(午後11時~午前5時)を出したばかり。県警嘉手納署や 関係者によると、空軍兵は1日夜、1人でこの店に来て飲酒。午後11時前に店主が帰るよう促したところ、突然暴れ出し、2日午前1時頃、店を飛び出したと いう。その後、同じビルの3階にある会社員宅に侵入。寝ていた男子中学生(13)の顔を拳で殴って1週間のけがを負わせたとして、住居侵入や傷害などの疑 いが持たれている。
(2012年11月4日06時45分  読売新聞)

  日本復帰前、沖縄では米兵が民家に侵入し、泥棒をしたり女性を強姦したりといった事が頻発したという。米軍が統治していた沖縄では警察がアテにならず、地元の若者たちが不良米兵に対抗しなければならない次第となった。これは確認していないが、現在でも、米兵が起こした事件は米軍が捜査指揮をするのかどうかを確かめてから警察が動くのだと聞いた事がある。
 米兵へのファイトバックの若者たちが沖縄ヤクザの原型となった。今でも、農業をやめてしまう家があると、ヤクザに相談があり、ヤクザは子分を連れて、その農園に行き、農作業を続けるなどしている。空白ができると全体が荒れてしまうので農地として利用し続けなくてはならないからだ。
 沖縄ヤクザは抗争も激しいが、こうした一面も色濃く持っている。


2011年12月28日水曜日

ターザン映画のチンパンジー、チーター没

この12月24日、ターザン映画のチーター役だったチンパンジーが、80歳で死んだという。  今年、ここに来て色々と死亡の報にふれる。しかし、まさかあのターザン映画のチンパン、チーターが生きていたとは知らぬ仏のお富さん、驚いた。  内輪の話だが、ターザンはアテレコが面白く、ターザン言葉と称して 「ターザン行く、ジェーン待つ」  という感じでしゃべって遊んだ。  段々とみんなに感染して、この喋り方になる。時々、流行した。  ついでに、猿の惑星ごっこで 「オイラ、コーネリアス」  なんてのも思い出した。  で、言葉遊びを介してターザンとチンパンがつながり、チーターが80歳まで生きて良かったと思った。  これは本当に大往生だ。ご苦労さん、チーター。  やっぱり最後は
 アーアーアーア~~~

2011年12月21日水曜日

金正日の葬式

金正日の葬式の光景だ。  後継者の金正恩の姿もある。若いのに太りすぎだ。食べる事でストレスを晴らしているのだろう。病気で早死するかもしれない。  金正日は拉致問題を放置したまま死んで行った。まだまだ、朝鮮の共産党である北朝鮮労働党のグロテスクな独裁体制は終わらない。

2011年12月1日木曜日

くもわざ書店 電子書籍販売開始!

電子書籍のダウンロード販売を開始します。

 第一弾は魚服記殺人事件 と 血の翳り - Eclipse of the blood です。

 魚服記殺人事件 魚服記殺人事件
 太宰治の冒険。
 目森一喜著。
 価格500円。

血の翳り - Eclipse of the blood 血の翳り - Eclipse of the blood
 目森一喜著。
 価格500円。

 こぞってお買い求め下さい。

2011年11月15日火曜日

支那の無意識と荒廃

  ちょっと前、ニクソンの著書を読んでました。元米大統領のリチャード・ニクソンです。 その本の中で、ソ連を食い止めるためには、毛沢東の政体がいくらどうしようもないものであっても、中国と手を結ぶしかなかった。相手を選ぶ余裕はなかったのだとありました。  とてもオーソドックスな地政学なのですが、日本で地政学を口にする人たちは、言葉を振り回すだけで、まったく理解していないか、好戦的に気分を高揚させるために地政学用語を口走っているだけというのが多いので、ああ、ニクソンという人はとても勤勉だったんだなと感心しました。
 盗聴なんて、やってない大統領はいないのに、なぜあの人だけがやられたのか、やはり疑問です。
地政学といえばマッキンダーですが、とても冷静で頭に地球が入っているものの見方をしています。
で、支那ですが、毛沢東に煽られて文化大革命という愚劣な暴力沙汰に血道をあげていた頃からすれば、ずいぶんと良くなったのだなと思った次第です。
 あの頃は、殺人、略奪、強姦といった蛮行に明け暮れたのですから。元々、人肉食をしていた低水準の支那文化が、さらに劣化しても不思議ではありませんでした。
 そこからすると、経済のおかげで社会が少しでも開かれ、その分だけ良くなっているんだと思います。
 別の言い方をすると、文化の劣化というのは無意識の荒廃ですが、それは外から見て嫌な感じを発散させるのです。瘴気を出すわけです。お金が回るようになると、そのために社会が開かれていかなければならない。サブカルチャーではやっていけなくなる。その開かれた分、無意識の荒廃は癒されましたが、ベッグで政策的な統制が布かれている分だけ荒廃が生み出されてもいる。今はそういうところだと思います。
 支那で怖いのは、考えた戦略的な動向ではなくて(そんなもの、あの近視眼的な人たちのすることですから、イザとなったら、布石のほとんどは死にます)、無意識の荒廃と混沌です。

2011年11月13日日曜日

サバス再結成?

ブラック・サバスが再結成して、CD出してツアーするらしい。  冗談のようだけど違う。  デビュー当時は安っぽい音で、安っぽく活躍してて、笑えるキワモノだったんだけど(その前に、アーサー何とかっていう、頭に火のついたヘルメットかぶって、ファイアーという曲を歌うキワモノ歌手もいた。あの人は事故で自分の頭に火がついてしまったというニュースがあったけど、その後の消息は知らない)、今になって再結成か・・・生きてるって凄いことだ。

2011年11月11日金曜日

色々あるんですが

色々とアップしたい事、あるんですが、どんどん仕事が遅くなっていて、間に合いません。  今日、テレビに甲野善紀さんが出てました。楽しみました。  ところで、テレビがつまらないので、地テジにしてません。見たいのはほとんど海外ドラマなので、レッドカーペットのなくなったテレビなんかいらないという感じです。金がないからでしょう、スペシャルと銘打って、これまでならカットしてた部分の垂れ流しで4時間も見せられたんじゃ退屈でしかたがない。  テレビが自殺して行ってる姿が面白いわけでもないし、ホントにもういらない。  テレビも見てないのに、色々間に合わないなんて・・・俺って、ホントに手が遅せえ!

ねこ時計

ねこ時計、つけました

2011年10月27日木曜日

News Spider

マドンナの兄は浮浪者、橋の下で暮らす
(米ニューザー 2011/10/24)

News Spider

サイエントロジー、サウスパークのストーンとパーカーを調査
(米ニューザー 2011/10/24)

News Spider

海上風力発電 初期原子力発電超える力
(独スピーゲル 2011/10/21)

News Spider

連続強姦魔はプレーノーの女子学生クラブ同窓会員を狙っているのか デントン
(ダラスニュース 2011/10/21)

News Spider

右翼ポピュリスト支持下がる スイス選挙
(独スピーゲル 2011/10/24)

News Spider

契約労働者、全イスラエル人の個人情報盗む
(イスラエル/エルサレムポスト 2011/10/24)

News Spider

地球の水は宇宙から来た
(露プラウダ 2011/10/22)

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42万4000ドルの金塊、ロシアで見つかる ボストーク鉱山
(露プラウダ 2011/10/17)

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スーザン・サランドン、教皇ベネディクト16世をナチ呼ばわり
(露プラウダ 2011/10/18)