2017年5月25日木曜日

チャーリー・ブラウン、俺を許してくれ!

 故チャールズ・シュルツの漫画シリーズ「ピーナツ・ブックス」(シュルツはこのタイトルを嫌っていたという。よくある話)は、少年時代に女の子にうんざりさせられた事があれば、つまり、男の子だったらほとんど誰でも理解し、共感できる作品だ。
 登場するどの女の子も凄い。
 でも、現実の男の子は、そんな話には飽きるし、戦って悪いヤツをやっつける話の方が好きなので、あまりピーナッツを読まないかもしれない。
 だから、この漫画の読者像としてあるべきなのは、少数の男が、苦い思いを噛み殺しながら読む姿のはずだ。
 しかし、世の中には、そんなひ弱で繊細な男ばかりで出来ているのではない。恐るべきことに女がいる。

「スヌーピー、可愛い〰い〰」

とか吠えながら突進し、シュルツの作った世界を踏み潰し、破壊しつくしてやまない存在だ。
 あの、影のある屈折した世界など、まったく理解できないのだ。動物の絵を見れば、条件反射で「可愛い」と感じる。あるいは、本当は感じていなくても、そう言う。
 それを別の言い方で表現すると鈍感という言葉になるのだが、鈍感で、理解力に乏しいのは多数派だ。
 だから、可哀想に、スヌーピーは可愛いくされてしまう。そんな事をするなんて、無神経の見本として表彰してもいいぐらいだ。

 ピーナツの登場キャラクターの商品化は、ひとつの表現世界の蹂躙と破壊に他ならない。

 でも、子供がそれを欲しいと言えば、黙って負け、ぬいぐるみを売っている店に行く。
 そして、買う前に正式ライセンスかを確かめたりもする。

 チャーリー、このどうしようもない大衆を許してくれ!