2017年5月17日水曜日

Crossing Muddy Waters

 ジョン・ハイアットの「クロッシング・マディー・ウォーター」をよく聞く。いいな、渋い声だな、男の歌だなとか、浸りきって聞く。

 最初にこの曲を聞いたのは、アオイフェ・オドノバン、サラ・ジャロスツ、サラ・ワトキンスの3人の歌だった。
 アオイフェ嬢、2人のサラ嬢(スペルは違う)、3人の歌姫たちはそれぞれソロの活動をしている。3人でもソロでも、どちらも素晴らしい。

 フォーク・ブルースやブルーグラス、フォークソングやケイジャン音楽、カントリー・・・アメリカでは伝統音楽というのだろうか、今でも若い人たちがいい音楽を作っている。伝統に則りながら、先進的な音を作っている人たちもいる。
 アオイフェ嬢たちも、ちゃんと自分の音楽をやっているようで嬉しい。みんな質の高い音楽を作っている。

 1960年代の終わり頃から、ロックの中で、ルーツに遡る傾向がひとつのメイン・ストリームになった。この傾向がワールド・ミュージックまで派生して行くんだと思うけれど、だいたい、ピーター・バラカンさんが好んでいるあたりが、その傾向かなと感じている。見当外れかもしれない。

 今になってみると、ロックは年寄りだけが頑張ってて、若い人が出てこない感じがある。ちゃんと追いかけているわけじゃないから断定はできないけど、本当のところどうなのだろうか?

 ビートルズが解散して穴の開いた市場を狙って、みんな大活躍したおかげで、ロック市場は大きなものになったけど、それも消えてしまった。ベビーブーマーがくたびれてしまったからだろうか。乱痴気騒ぎがもう終わったというなら、良かったかもしれない。
 市場に振り回されて色んなものが方向を失ってたけど、本来ある所に戻り、向かうべき所に向かうしかないのだろう。

 クロッシング・マディー・ウォーターだね。馬鹿げた泥水を渡ってね。