2017年7月15日土曜日

南千住と山谷、そして・・・

「南千住は」で記事に触れさせていただいた 将門web さんが「何度も笑っています」という記事で応答してくれています。

何度も笑っています
   目森さんが書かれたことで、何度も何度も笑っています。この内容です。
南千住の電柱には、「路上で酒盛りをしない事」などと書かれていました。
 でもそう書かれてもやるのだよなあ。私もやってしまう側です。ここにはいくつもの画像を入れてみました。警察も困っているのだろうなあ。

 画像は本家で見てください。楽しそうに路上で酒盛りしています。
 山谷はガラが悪いし、左翼もいるし、ヤクザもいるし、面倒臭くて警察も嫌だと思います。
 路上で酒盛りだけじゃなくて、昔は冬に銭湯の入り口の前で寝ている人もよくいました。銭湯の排水はお湯ですから、その上の道路が温まるのだろうと推測しましたが、確かめてはいません。
 玉姫神社の前の玉姫公園に行ってみると、ベンチの前に地下足袋が脱ぎ捨てられていた事もありました。そこで履き替えたのでしょう。片方が立っていて、履いていた人の気配が残っている印象で、しんとした冬の朝、そんな光景に遭遇するのは、とても嫌でした。

 山谷のドヤは、バブル景気の時に高級化して(なぜ、この場所のまま高級化するのか不思議でした)、料金が上がったとかいう話を聞いた事がありました。バブル崩壊後、そういうドヤの一部が外国人旅行者向けの低価格ホテルになり、成功したようでした。

 土木作業などの仕事がなくなったのでしょう 、隅田川両岸の美しい遊歩道が浮浪者の臨時テントで埋め尽くされた時期がありました。
 ブルーシートの住人の収入源はアルミ缶のようです。資源ごみで出た物をアパッチし、集めます。図々しい者は、どこで手に入れたか町内会のチョッキを着て集めています。連中も必死です。いや、必死なのは彼らだけですから、この際「も」は間違いで、「は」でしょう。連中は必死です。
 集めた缶は潰して小さくし、集積場にでも持って行くと行政が買い取るのでしょう。中間業者がいるのかもしれません。
 今、テントが減っているのは、追い出されたという事もあるでしょうが、仕事があるのでしょう。解体作業の現場には、爺さんや露助まで混じっています。
 
 南千住は荒川区ですが、山谷のドヤ街そのものは台東区にあります。区の境に泪橋があるのでわかる通り、ここで差配が分かれていました。
 南千住で山谷を引き受けたから、反対側の不忍通りというか、道灌山で台東区が譲り、荒川区と文京区が境を接している所があると勘ぐっている知人がいました。

 確かに微妙な区割りになっています。
 道灌山は荒川区にあるのですが、どうしてだか、不忍通りを境にして荒川区と文京区とはなっていません。不忍通りを越えて荒川区側に文京区が食い込むような形になっています。いや、そもそも、荒川区は道灌山の分はみ出しています。荒川区は山手線の外側までで、山手線の内側は文京区か台東区の方が自然です。
 道灌山側の住民は、もうすっかり文京区意識でいます。道灌山には開成がありますから、それも文京区意識に拍車をかけます。オホホホホ。
 昔、山の手と言ったのは文京区の事です。縮めて「のて」とか言ってました。今では、山の手の対語のように使われるようになった「下町」は神田の事です。山の手のある所に下町はありません。
 山の手というのは台地の上という意味ですから、道灌山の住民が、荒川区民であっても、文京区(山の手)意識を持つのは、その浅はかさも含めて不思議ではありません。
 しかし、文京区は、その荒川区が不忍通りまで来るのは許さず、道灌山通りから動坂下までの荒川区がせり出した部分に、文京区を敷設しています。不自然に路地一本分だけ文京区です。路地一本の片方、不忍通り側が文京区で、もう片側は荒川区です。
 薄皮一枚の文京区と呼ぶ人もいますが、荒川区を防ぐ緩衝地帯と見えるのも確かです。
 道灌山通りの向こうは台東区ですし、動坂下から向こうは北区ですから、本来なら台東区がしっくり来ます。そこで、山谷の借りを道灌山で返したのではないかという、まったくの邪推が出て来ます。

 北区にも、不思議な場所があります。
 北区豊島五丁目は、隅田川が折れ曲がる所にあります。赤羽で分岐した荒川との距離がとても近くなります。対岸の上流側は足立区新田で、下流側は足立区小台です。
 ここの不思議は、北区と足立区の区界が隅田川ではない事です。堤防土手を越えて荒川の真ん中まで、北区が飛び出しているのです。
 飛び出している所は、土手と河川敷しかありません。ここが北区である理由は最初に線引する時に手が滑ってしまったか(「鉄腕アトム」の御茶ノ水博士の鼻は手塚治虫のペン入れの手が滑って大きくなってしまったそうです)、何か他に理由があるのか?
 ここで知人が邪推力を発揮しました。
 足立区の首都である北千住と新田を直付けしないために、北区がカットに入ったという説を発表しました。
 新田出身者としては、実に面白くない説でした・・・

 南千住は荒川区ですが、北千住は足立区です。千住とだけ言うと、北千住を指します。
 南千住と千住の間には隅田川があり、千住の向こうに荒川があります。荒川は大きな川です。初めてこっちに来た人が、川をふたつ越えるので慌てたと聞いた事があります。千葉に来てしまったと思ったというのです。心細かったと言います。
 そういう話は何回か耳にしました。足立区民は憤慨していました。
 足立区は、荒川から向こうが広大なのです。しかも、交通機関がない。
 埼玉に向かう東武伊勢崎線も、千葉に向かう常磐線、京成線も、足立区の隅っこを走っています。足立区の真ん中を走っているのは無人の舎人ライナーだけです。
 そのため、足立区民は自転車をこぐスピードが凄まじく早いとか、色々と都市伝説はありますが、せっかく話が南千住に戻ったあたりですし、別の機会にしましょう。