2017年8月14日月曜日

2つの情報工作と日本 2

 宣撫工作は、占領した国や地域で必ず行うものであって、アメリカがとりわけひどい洗脳をしたという見方はできない。日本だって宣撫工作はやっている。宣撫工作そのものはあたりまえの行動だが、「真相」工作は戦前の悪魔化が強すぎたとは言える。また、ソ連の「総連/日共」工作も重なったため、より強烈になった面もあるかもしれない。
「真相」工作で日本の悪魔化が強いものとなった理由は、戦時中の日本軍の強さだったかもしれない。結局、日本は列強をことごとく打ち破った。負けたのはアメリカにだけだ。あの時点で、日本の強さは不要だと連合軍は判断したのかもしれない。列強は、日本がいなければ、まだアジア植民地を維持出来ると思っていた。フランスなどはすぐに戻って来たが、戦時中、アメリカの工作員だったホー・チ・ミンが独立を願い、残留日本兵を顧問として独立軍ベトミンを結成し、戦争を開始した。

 ソ連の工作とアメリカの工作による情報操作を除くと、戦争の否定が日本の否定につながる見方=考え方はほぼ根拠をなくす。

 大東亜戦争で、日本は東南アジアに侵攻したが、そこは欧米列強の植民地とされていた地域だった。日本が欧米列強を東南アジア域から駆逐したため、戦後、東南アジアが植民地から脱し、建国して行った。
 大東亜戦争において、日本国内の諸潮流には、それぞれ思惑があり、アジアの解放を目指した人々がいるかと思えば、ただ欧米列強から植民地を奪い取ろうという腹でいた者もいただろう。
 何らかのモデルをあてはめて大東亜戦争を説明する事は出来る。モデル化はつまり単純化だから、単純でわかりやすい説明が適切でいい場合は多い。しかし、あの戦争を単純化する事そのものが適切であるかどうかは目的によって変わって来る。
 あのような戦争を起こさないためというならば、あの戦争を細部まで追求し、様々な機微、思惑、行為が重層的に折り重なった中に分け入って解きほぐし、解明し、分析すべきであるのはあたりまえであるように思える。単純化が役に立つとは考えられない。
 すべて悪意と欲望で出来ていたなら、こんなに簡単で解決しやすい問題はなくなる。しかし、そんな風に都合よく出来上がっている現実はない。
 だが、「総連/日共」工作が流布した、戦前の日本が悪意と欲望で出来上がった悪の帝国であるというポンチ絵並に単純化した物語の前に、本当に何がどうなっていたのか、何が悪かったのか、どこが間違っていたのかを明らかにする努力はなおざりにされた。
 おそらく、そうした努力をすべき者たちは、正しい共産党がすでに結論を出しているのだから、もう手を加えるべき所があるはずはないと、馬鹿げた考えを持ったのだろう。あるいは、臆病な彼らは、共産党の正しさに怯え、その時代ごとの「正義」に敵対する可能性を自らに禁じ続けたのかもしれない。ともかく、必要な事はなされず、神国史観から取って代わって、「マルクス主義唯物史観」が神棚に飾られただけだった。

 アメリカの「真相」工作に影響された勢力と、「真相」工作に寄生した「総連/日共」工作の影響下にあった勢力が、戦後日本を2分した。
 世界的にも、西側と東側に別れ、西側諸国にはソ連の影響下にある人々が存在した。東側、つまり、ソ連と東欧諸国は、マルクス主義によって統制されており、思想・言論の自由がなかったため、西側の影響はほとんど及ばなかった。
 戦後の歪んだ枠組みは世界的な規模で蔓延し、世界を呪縛した。